管理人の呟き

◆小説「ジョンがいた窓辺」

 このお話しの原本は、いつかどこかで読んだような、あるいは、どこかの教会の神父さまか、牧師さんの説教に出てきたような気もするのですが、記憶が定かではありません。

 タイトルもなく、核心部分だけのとても短いお話しでした。ただ、その内容は強烈に印象に残っています。

 この記憶のかけらを編集して、私なりの小説に仕上げたのがこの「ジョンがいた窓辺」です。

 そしてさらに縮小してここにご紹介いたしますので、よろしければお読み下さい。

 なお、特定の地域や個人を貶めるような意図はありませんし、あくまでも、フィクションとしてお読み下されば幸いです。

 

 


  ジョンがいた窓辺

 ドイツのブリッツ(猛攻撃)がこのロンドンでも始まったのだ。

「なんてことだ。これは神が私に罰としてお与えになった試練なのか?」。ジョン・ミレーは呟いた。

 そんなことはない。世の出来事すべてを神と自己との直線上に並べ、すべからく結論を導き出そうとする思考は宗教者の傲慢である。旧約聖書のヨブ記がそのてらいの最たる例だろう。原因があって結果が存在する。ジョンが故郷を追われる原因は確かに存在するが、戦争はその結果ではない。 

 爆音と衝撃波、土埃が地下の避難民たちに降り注ぐ。時は進むことによってのみ明るい朝日を見せてくれるものだ。と、ジョンを追いかけてきたベネディクト会の修道士ロス・ギャラガーが言った。後悔は夜のようなもので、たとえ満月の夜であっても曇り空よりもはるかにその闇は深いのだと。

 ばらばらとびりびりと天井が破けていた。そうしてもう一度爆音が轟いたそのとき、かつてのジョン・ミレーの身体は半分になり、無くしたもう半分の質量は魂魄の領分、あるいは養分となって新しい芽吹きを迎えようとしていた。次第に薄くなる意識。

 ――さあ、ジョン、おまえの仕事を、その両の眼でもって存分に果たせ。

 どこか遠くで、誰かが細い声で、繰り返し繰り返しささやいていた。

    ***

 ここにやってくるのは、生来の寝たきり患者や、戦争で首から下の機能を無くした傷痍軍人、感染症以外の動けない患者などであった。もちろん、ブリッツの被害者も相当数にのぼる。一度寝ついてしまえばもう一歩も立ち上がれないし、まして、部屋の中はもちろん、病院内を動き回ることなど奇跡でも起きなければかなわない夢のまた夢であった。

 病院全体がそうなのだが、特に三階は、一度入ったら出られない。応急処置を受けた各地から運ばれてくる、いわゆる「死を待つひとたちの病棟」だった。そのなかでも、一番奥は入れ替わりが激しく、長くいる者でも一年程度。最短では、翌日には永遠へと旅経つ「天国への待合所」と呼ばれていた。

 平和な時代であれば、彼らは恋人や家族とピクニックに出かけ、恋を語り、まだ見ぬ未来の希望に胸を高鳴らせ笑いに興じていたことだろう。老い先短い老人とは違って彼らにはその権利があったし、またそうでなければこの世界は成り立たない仕組みになっている。

 彼らの権利を奪い取ってしまうというだけで、戦争を批判するには充分だった。命がどうの、この星の環境がどうの、神のご意思がどうの。そんなご託は並べなくていい。神は神でも、ご時世という疫病神や貧乏神に魅入られてしまった者たちは気の毒としか言いようがない。

 医師もナースも薬剤も機材も、病院そのものが圧倒的に不足しているのだ。娯楽などなにをか言わん。ジョン・ミレーが彼らの仲間に図らずも入れられてしまったことは、ある意味では神のご意志であったかもしれない。はっきりしていることは、いま彼は変えようのない過去を自分より先に墓穴に放り込むことができる場所と時間とを充分に与えられている、という事実だけであった。

    ***

 いびつな形の部屋には四人が闘病していた。

 ジョンは窓に面したベッドに寝ていて、いつもほんの少しだけベッドの上半分を上げていた。彼の向かい側にジョンの友人で共に被爆したロス・ギャラガー、隣りにはダニー・ジョージ、一番廊下側にはポール・ラドキンが寝かされていた。ジョンとロスは20代の後半、ダニーとポールは二人よりも幾分若い世代だった。

 そこへ新入りがやってきた。彼の名はアラン・コール。彼は比較的軽傷だった。寝たきりには違いなかったが、熱を出すこともなく、痛みも軽い。食事もほとんど残さず食べることができるようだった。

 残念なことは、彼の頸は、廊下側にほんの少し動くだけで、ジョンのいる窓辺を見ることは不可能だったことだ。それでも、ナースたちに身体の向きを変えて貰うときには、一瞬だけジョンの窓が見えた。しかし、目に入るのは、あくまでもL字型になった斜交い病棟の壁だけだった。ただ、ジョン以外の三人が視力も失っていることに比べれば、アランは幾分、いや、かなり恵まれていた。

 アレが見たい。コレがしたい。ナニが食べたい。飲みたい等々。神はなぜ俺をこんなめに遭わせる。あの世に行ったら、俺は真っ先に神の野郎をぶっとばしてやるね。

 アランの悪態は終始止むことはなかった。が、他の三人は同調しなかった。と言うのも、そんな元気さえなかったのだ。しかし、窓際のジョンだけは。ことあるごとにアランに相づちを打った。

「アラン、その意気だ。ガンバレ。その思いがあれば、神様だってきっと君を治してくれる。君のパンチは重そうだ。神様もぶっ飛ばされたくはないだろうからね」

 ダニー、ポール、ロスの三人は、こんなジョンのウイットに富んだ冗談のときだけ、ほんの少し頬を緩めるのだった。しかし、アランは、そんなひとをおちょくったようなジョンの言葉がいまいましかった。神をぶっ飛ばす前に、絶対にあいつを殴ってやる!

 ジョンのベッドにはいつも明かりが差していた。窓辺だったから? たしかにそれもある。が、他の患者にはない、特別ななにかをジョンは持っていた。希望のようなもの。あたたかな春の匂いがする、ひとを分け隔て無く受け入れる器の大きさだった。

 しかしこれは、ジョンが生まれながらにして獲得した性格ではない。ひとは決して変わらない。いや、変われない。信念に基づいて生きておられる方々もおいでだろう。自らの持論を滔滔と展開なさるひとたちに彼自身も幾人となく接してきた。それはそれで結構なことだ。ひとは変わろうとしなければ変わらないのだし、目に見えないなにかが無理矢理そのひとの性格や理性を変えてしまう場面はえてして悲惨の極みに向かわせるものだ。

 だがジョンは、運良く希望のようなもの。あたたかな春の匂いがするよき被造物、よきサマリアびとに変えられてきたのだった。

 そんなジョンの容態が思わしくないのは、医師もナースたちもみな知っていたし、アラン以外の同室者たちも心得ていた。だから、ジョンにはできるだけ無理をしてほしくなかった。それでもジョンは自らの仕事を一日たりとも欠かすことはなかった。
 
 仕事? 寝たきりの重傷者にいったいなにができる! まあそう言うなかれ。患者には患者なりの役割があるものだと気がついて人生を終えることができるならば、そのひとはなんと幸いであろうか。なにしろ、医療や福祉や宗教に携わる者でさえ全うには見えない朧なる霧のような存在がひとの一生そのものなのだから。

 みなさん。今日のお天気は素晴らしいです。雲ひとつ無い。あぁ~、なんと美しい青空。あ、トンビが飛んでいます。一羽、いや、二羽、夫婦でしょうか。それとも親子かな。

 若葉も綺麗に、しっかりとしてきましたね。砂漠のオアシス。周囲はほとんど荒野なのに、この病院の周囲には数種類の木々が植えられています。元は貴族のお城だったというのは、あながち誇張ではなかったようですね。梢が微妙に揺れていますから、風が吹いているのでしょう。

 あらあら、7歳くらいの女の子が帽子を飛ばされてしまいました。慌ててお母さんらしきひとが追いかけていきます。綺麗な女性です。ブロンドの髪を後ろで束ねて、瞳は・・・う~ん、よく見えないけど、あ、ブルーですよ。

 銀髪のお年寄りがニコニコしています。きっとおばあさんですね。

 あ、やった! 帽子、つかまえました。ピンク色のリボンがついた、可愛い帽子。私はファッションには疎いので、どんな名前がついたものか、今度、ナースの皆さんに聞いてみましょう。

 お見舞いでしょうか。でも、ここに普通の人がやってくることはまれなことですから、お医者さんたちの家族かもしれませんね。

「山の方はどうかな。ぼくが連れてこられたときは、まだ雪が残っていたようだが」とダニー・ジョージが訊いた。
「しっかりと残雪が確認できますよ」
「ダニー。君はスキーの選手だったんだってな」とロス・ギャラガーが言った。
「戦争が始まる前の話しさ。ドイツの野郎、ぼくは奴らの餌食になって、頸をやられたんだ。頭にはまだ砲弾の破片も残っているらしい」

 そう言いながら、ダニーは泣き出した。

「ダニー。泣くことはない。あの山の真っ白い雪の上を滑っている君が見える。きっと良くなるさ。毎日思い描くんだ。自分自身の勇姿をね」
「ジョンは気楽でいいよな。でも、あんたのその前向きさにはいつも励まされるよ。俺たちみんなもな」とポール・ラドキンが言った。
「お、雪が降ってきましたよ。あんなにお天気だったのに。ひとのこころと空模様は不可思議なものです。どんどん降ってきますね。ダニー、ナースさんに頼んで、ベッドスキーなんてどうでしょうね。積もるかもしれませんから」
「そいつはいいや。ダニーの勇姿が俺にも見えるようだぜ」とポールが笑った。

「フン! どいつもこいつも脳天気なやつらだ。そんなできもしなことをペラペラと。おい、ジョン、ベッドを替われよ。おまえだけ外の景色が観れるなんて不公平じゃないか!」
「あぁ~、私もそうしたいんですけど、こればっかりは病棟で決められていることですから・・・。それに、寝たきりでも、そのひとにはそのひとなりの仕事があるものです。誰かの役に立つ仕事がね。私からその仕事を取り上げないでくれませんか」
「寝たきりに仕事? 戯れ言を言うな! 俺たちは社会のクズなんだよ。しかしまあ、おまえが仕事だと言うなら言えばいいさ。俺が今度婦長に掛け合って、その仕事とやらを取り上げてやる」

「アラン!」と、ロス・ギャラガーが声を殺して唸った。「あんまり調子に乗るんじゃない。君の怪我はドイツのせいじゃないと聞いたんだがね」
「や、やかましい!」

 第一次大戦終了と同時に、イギリスの徴兵制度も終わった。それが復活したのは第二次世界大戦が始まった1939年9月のことである。

 まず18歳から40歳の男性。41年に17歳8ヶ月から51歳までのイギリス人男性と同国在住外国人男性。そして、20歳から30歳までの独身女性が徴兵された。さらに、翌年には男女とも16歳までに徴兵年齢が引き下げられたのである。

 こうした厳しい戦時下にあっても、イギリスでは良心的な兵役拒否が許されていた。もっとも、この恵まれた制度を私欲のために活用しようという国民はほとんど見受けられなかった。彼らは臆病者と呼ばれ、ノブレス・オブリージュ(高貴さは義務を負う)を果たしていないと揶揄嘲弄されることをなによりの恥と考えていた。政府によるプロパガンダ「民衆の戦争」が彼らに連帯感を与えていたことは否めない。それでも、ファシズムと民主主義を見極められる冷静で成熟した精神はイギリス人の誇りでもあった。

 病気や怪我で動けないことと、臆病者との間には果てしない距離がある。卑怯者とも呼ばれない。「死を待つ病棟」の患者であればなおさらだった。それだからこそ、と若い彼らはことあるごとに唇を噛み、握りようのない拳を意識の中で堅く握るのである。それが証拠に、患者の多くが正規軍に徴兵される前にすでに「地域防衛義勇隊」(後のホーム・ガード)に加わっていたことがあげられる。
 
 こうした毎日の連続があって、みな一様に弱っていき、反比例して意気軒昂になっていくアランはなんどもベッドの変更を訴えた。が、彼の願いは決して聞き入れられなかった。そのせいもあって、アランのジョンに対する態度は日ごとに棘を増していき、口から出る言葉は呪いさえ吐くほどになっていった。

 しかし、ジョンは相変わらず、外界の実況をし続けた。

 雨が降っている――
 風が強くなった――
 砂埃が舞っている――
 遠くで稲妻が光った――
 またブリッツが再会されたのかもしれない――
 星がとても綺麗だ――
 今夜は満月だな――
 見かけないジープがやってくる――
 雛の巣立ちがあった――
 陽炎が揺れている・・・

 ダニーもポールもロスも、ジョンの実況を心ゆくまで楽しんだ。しかし、アランは、いつも耳を塞いで毒づくのだった。
「ここにはまともなラジオもないのか!」
「ありませんよ。もっとも、あったとしても電波が入りませんけどね。地形上」健康な頃は通信士をしていたポールが疲れ切った口調で言った。

 そのポールが翌週天国に旅立った。そして、ポールを追いかけるようにして、数日後にダニーの姿が露のように消え失せた。

    ***

 彼らが去ったベッドには次の患者が入り、「天国への待合所」は途切れることなくいつも満室だった。そしてベッドの並びも、常にジョンが窓際で、アランが廊下側。変わることがなく、アランの不平も止むことがなく、ジョンの外界実況はさらに的確なものになっていった。

 だが、時は過酷な事実を日々に突きつけ、ジョンの体力を奪っていった。誰もジョンを気遣ったが、アランだけはこころのなかでほくそえんでいた。「あいつが死ねば、窓際のベッドは俺のものになる。そうすれば、この退屈でかび臭い無機質な部屋も少しは快適になるだろうからな」

 そのアランの願いは程なくして叶えられた。ジョンが死んだのだ。彼は死の間際まで外界の実況を続けていた。

「みなさん。中庭で手招きしているひとがいますよ。どこかで見たような・・・懐かしいお顔です。私にはもう肉親はいないのですが、・・・ああぁ~なんとあたたかい笑顔でしょう。そうです。あのお方です。私、少しばかり話してきますね」

 中庭に出ることなど出来るはずもない。そんなことは誰も知っていた。しかし、ジョンの言葉に嘘偽りは何一つないように思われた。彼にはきっと、ほんとうに迎えに来てくれた誰かが見えていたのだと。

 ジョンの亡骸は軽々と持ち上げられた。年配のナースが愛するわが子をそのかいなに抱くように、そっと大切に運ばれていった。

  ………………
  ………………

 こんな静寂を誰が想像しただろう。ジョンがひとりいなくなったそれだけで、この世界中から音という音が消え失せ、言葉など初めからなかったかのように感じられた。

「し、静かなもんだな。いや、なに。俺はこれくらいの静けさが好きなんだけどな」
 アランは幾分戸惑いながら、それでも上機嫌で言い放った。
「だったら黙ってろ」ロスが応えた。
「ジョンのお喋りには喜んで付き合ってたくせに、俺にはそんな態度かい。それにしても、ジョンもしぶとい男だったぜ。そうは思わないか? なぁ、修道士の旦那」

 アランの言葉は上気していた。

「おまえの唯一の友がいなくなったことがそんなに嬉しいのか!」
「唯一の友? なんのことでしょう? 誰のことでしょうね」
「おまえがここに連れてこられてから、おまえに積極的に語りかけてくれた人間はジョンだけだったことを知らないとは言わせないぞ。医者からもナースからも同室者からも無視されてきた境遇を忘れたか」

「俺がジョンに頼んで話しかけて貰ったわけじゃねぇよ。あいつがお喋りだっただけだ」

「この恩知らずが! ジョンの実況でおまえがどれほど慰められていたか、俺はちゃんと知ってる。ジョンの話しに聴き入って、みなと一緒に笑い、ときには声を殺して泣いていたことも確認済みだ」
「あぁ、認めるよ。だから羨ましかったのさ。どうしてあいつだけが外の世界を独り占めできるんだ。なんの権利で! 笑ったのはあざけりの嗤い。流したのは悔しさの水だ!」
「おまえ・・・」
「なんだ!」
「ジョンがどうしてあんな実況をしていたか、知らないのか。あいつはなぁ」
「うるさい! うるさい! 死んじまった奴のことなんか二度と口にするんじゃねぇ! これからはあいつの窓辺を俺様がいただくんだ。しかしだ。期待するんじゃねぇぞ。俺はあのお人好しジョンとは違うんだ。外の景色の、その欠片だって分けてやるもんか」

 ジョンが死んで、しばらくは窓際のカーテンは引かれたままで、ベッドも空いたままになっていた。

 誰もベッドを移りたいと言わなかった。
 しかし、アランだけは違った。

「なあ、婦長さんよう。あの窓際のベッド、どうして空けておくんだい。ジョンは死んだじゃねぇか。俺をあそこに移してくれよ」
「アラン。あなたにはジョンの代わりは務まらないわ」
「放送局か? そんなもん、はなからする気なんかねぇよ」
「だったら、ベッドはこのままね」
「えぇ~!、そんな殺生な」

 アランは考えた。口先だけ「やります」と言っときゃいいんだ。ベッドさえ替わればこっちのものだ。誰が外の景色の「お裾分け」なんかするものか。

「わ、分かった。俺、ジョンの意志を継いで、立派な放送局員になるよ。約束する」
「本当なのね」
「ああ、男に二言はねぇよ」
「じゃあ、今日はもう遅いから、明日、朝から移動しましょう」

「やめといた方がいいと思うがな」と、ロスが呟いた。「地獄をみることになるんだ・・・」

「誰かなんか言ったか!」

 断末魔の呻きが縷々聞こえ、時折荒い息が木枯らしのように通り過ぎる以外、部屋の中に言葉はなかった。ロスでさえ、もうアランには応えない。

「その意気ですよ、アラン」
 ジョンの声が聞こえたような気がした。アランの怒りの混沌が次第に整理されていく。憎しみと怒り、悲しみと寂しさはそれぞれ対になっている。

 涙がアランの頬に一筋流れ落ちた。

    ***

 翌朝、あれほど沈んでいたアランのこころは入院後で初めてというほどに浮き立ち、恋をする乙女のようにときめいていた。

 ジョン、見ているか。とうとう取り上げてやったぜ。おまえの大切なものをな! あの世で地団駄踏んで泣きやがれ。おっと、あの世に行っても足はないか。

 アランの身体は布団ごと抱えられ、ジョンが一年半も愛用してきたベッドに移された。

「おい! カーテン開けろや。景色が見えねぇだろ」

 怒鳴り散らすアランに、婦長が念を押した。

「アラン。目を閉じて応えて頂戴。私との約束は覚えているわね。もう一度約束してほしいの。そうすればカーテンを開けてあげる」
「はいはい。わたくしアラン・コールは、二代目ジョンを襲名し、立派な放送局員となることを誓います」
「分かりました。いい、アラン。絶対に後悔しない事。約束は絶対に守る事。我儘は許しませんからね。天国のジョンのためにも」

 婦長はそう言ってカーテンを開け、部屋を出て行った。

 アランは待ち焦がれてきた瞬間に、張り裂けそうな喜びを感じていた。この視界に最初に飛び込んでくるのは青空か? それともまぶしいまでの緑色の木々か? かわいい帽子を被った女の子か?

 わずかに動く頸を傾け、アランは閉じていた目をそっと開けた。
 だが、彼の目に映ったのは、赤茶けた壁だけだった。できうる限りの力を振り絞って精一杯見回した。

 斜交いの病棟は、焼けただれた崖に寄りかかるように建っていて、その崖の上がどうなっているのか見当もつかない。空など無に等しい。日が差していることから、どこかで崖が途切れていることは理解出来る。が、おそらくジョンも空を見ることはできなかっただろう。

 あろう事か、その崖の下半分は崩れていて、この病棟を覆っていた。一階と二階は窓さえ潰れているはずである。三階だけに日が差すのは、死により近い者たちへの、病院からのせめてもの心遣いだったのだ。

「ど、どういうことだ。じゃあ、じゃあ、ジョンは何を見てあんなリアルな放送局員を演じていたんだ・・・」

 そのとき、いつかのジョンの言葉が甦ってきた。

「寝たきりでも、そのひとにはそのひとなりの仕事があるものです。誰かの役に立つ仕事がね」

 アランはジョンの顔を見たことがなかった。しかし、目の前に立って、優しい笑顔でほほえみかける碧眼のジョンがいるような気がした。

「ジョン・・・おまえは俺たちのために、患者たちを慰めるために、毎日毎日嘘の景色を語ってくれたのか。それも血を吐きながら。その嘘のおかげでどれだけの患者が慰められ、勇気づけられ・・・ウゥ・・・チクショウ!」
 アランの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「アラン・・・」

 ロスが声を掛けた。

「ジョンと俺は同郷で同い年だ。自動車工場しか働くところがない小さな村出身だ。あんたが解りそうな地名で言うと・・・それなりに離れてはいるけど、コヴェントリーあたりかな。で、俺はベネディクト会の修道士で、神学をもっと学びたいと願っていた。

 ベネディクト会では『清貧』『従順』『貞潔』『定住』が一応の戒律だが、俺には常に迷いがあった。他宗教も含め、もっと自由に学びたかったし、神が創った様々な街や文化や景色やひとびとの顔も見てみたかった。

 自由奔放なジョンの影響もあったのかもしれないな。ロンドンに出てきたのは誰について行くのかさえ決められない、優柔不断な性格の結果なのかもしれん。そんな俺を観てジョンは酷く笑いやがった。おまえの神はどこにいるんだってね」

「…………」

「田舎の人間は姑息で融通が利かない。ジョンはいつも嘆いていた。まあ、神の前ではどこの人間もみな同じだけどな。歴史が深い街ともなれば、本心からの信仰心や敬虔さとはかなり違った意味で厳格な戒律で縛ってしまおうとする気風が生まれるのかもしれないな。イエスはそれを『白く塗った墓』だと酷く窘めたが、所詮は人間のやることだ。

 自動車工場の過酷さに耐えかねて、従業員たちと全国の資本家たちとの対立が激しくなってきたころ、その事件は起きた。

 オーナーのじじいが提案、いや、命令したんだ。一番若くて美しい工員の女を選べ。服をすべてはぎ取り、始業から1時間全裸で働かせろ。男も女も決して彼女を意識してはならん。もしひとりでも女を注視する者がいたら、おまえたちの境遇は半分以下になる。約束を守り通したら、おまえたちの要求をすべて受け入れてやる。とね」

「無茶苦茶じゃないか!」

 オーナーの出身はコヴェントリーだった。

 その街には、領主のレオフリックと彼の妻、ゴダイヴァ夫人についての伝説が残されている。

 レオフリックが課す重税は領民たちを死の淵にまで追い詰めていた。ゴダイヴァは領民たちを救うために一命を賭して夫に意見をするのである。

 レオフリックは応えて言った。「女のおまえに、全裸で馬に乗り街中を闊歩する度胸があるか。できもせんだろ。だいたい、女はしゃべるなと聖書にも書いてある。主人である男に黙って服従し、仕え、丈夫な子供を産む。それが、いや、それだけが神の命令であり、女の仕事だ」。

 だが、ゴダイヴァは凜として立ち上がり、女の真の仕事を果たすため、夫である暴君レオフリックに戦いを挑んだのである。

 領民たちには決して外を見ないようにとのふれを出し、ゴダイヴァは一糸まとわぬ姿で馬上の女騎士となった。

 街にひとの影はなく、高潔な領主夫人との約束を果たした領民たちは、窓や扉を堅く閉め、家の奥まった場所に閉じこもった。

 さすがのレオフリックも渋々折れ、大幅な減税を実施することになった。

 ところがだ。このとき、欲望に駆られ、全裸のゴダイヴァをじっと観ていた男がいた。仕立屋のトムだ。彼が、後のピーピング・トム (覗き魔)という言葉の語源になったとされている。

 トムの末路は定かではないが、「失明」という罰を受けた。そんな伝承が残されている。いずれにしても、卑怯者の所業は必ず知れる。狂気の掟を振りかざす人間の罪の行く末もまた同じだ。

 コヴェントリー出のオーナー気質を象徴する、興味深い逸話である。

「言った方は、故郷の伝説をもじった冗談半分のただの脅しだったのだと思う。ところが、労働者たちだってふぬけばかりじゃない。気骨のある女がいてじじいの要求を受けて立ったものだから、双方引き下がれなくなった。

 しかしだ。間が悪いことに、この約束事をただ独り知らされていなかった男がいた。いい意味でも悪い意味でも筋を通すやっかいな男。そう、ジョンさ。彼は事あるごとにオーナーに反抗した。それもこれも、奴隷のように搾取され続けている労働者たちを、共同者の友人たちを護りたい一心からだった。当然、じじいはなんとかジョンを追放したいと考えた。それも、真っ当な、彼の両親さえ反論できない理由をつけてな」

 なにも知らないジョンはまんまと罠にはまった。裸にされた女はジョンが心を寄せていたそのひとだったのだから、彼の視線が釘付けになったのは言うまでもない。感情が抑えきれなかったジョンはじじいを突き飛ばしてしまった。

「そんな奴、殺しちまえばよかったんだ」とアランが吐き捨てた。
「神に仕える俺でさえ・・・まあな。だが、悪運が強い奴はどこにでもいるもんだ。じじいはなにほどの傷も負わなかった。それでもジョンは犯罪者に仕立て上げられた。

「ケッ!」
「その後ジョンと工場の従業員がどうなったか、あんたでも想像できるよな」
「ジョンは被害者じゃないか。どこをどう探してもジョンに罪はないだろ! 女の子も可愛そうじゃないか!」アランは叫んだ。
「ああ。そうだ。だが、それが世間てぇもんだ。ピーピング・トムと呼ばれ、暴力男と蔑まれ、仲間だと信じていた面々からは、おまえのせいで我々は奴隷以下の扱いを受けるようになったと唾を吐かれ。・・・ジョンは、寂れた田舎町のユダにされちまったわけさ」

「なら・・・、ありもしない風景の実況は・・・」
「あいつなりの贖罪だったんだろうな」
「ジョンは怪我をして、寝たきりになって、それだけで償いは充分終わっているのに」アランはたたみかけて叫んだ。「工場のオーナーや街の連中の罪はどうなるんだ!」

「40年の11月14日に大空襲があった。ジョンの両親をはじめ、工場関係者すべてが死んだよ。そして村そのものが地図上から消え去った。まるで旧約聖書のソドムとゴモラの有様だ。あのコヴェントリー大聖堂でさえ原型をとどめないほどに破壊された、あの空襲の時さ」
「神の・・・罰・・・」
「いや。あくまでも人間の罪。愚かしい歴史の一部、それだけだ」
「だったら・・・」

 そんなに苦しんで罪を背負い、償うことなんかなかったんだ。ごめんよ、ごめんよ・・・悪態ばかりついてた俺は・・・ジョン・・・。
 
 俺にも、私にも、ジョンが持っていた勇気と優しさを・・・、神よ、私にも、私にも下さい・・・
 
 アランの祈りは滂沱となった。

 それから数日。黙ったままだったアランが突然話し始めた。

「みんな、春だぞ。外は花盛りだ。荒野のオアシス。よくぞこんなところに病院を造ったもんだ。
 お、白に黒い点々が入った犬をつれたおばさんが歩いてくる。なんでだよ。ジョンの時はいつも美人ばかりだったのに、放送局員が俺に替わった途端におばさんばかりだ。トホホホー」

「そりゃあ、日頃の行いのせいだろうな」

 誰かの声で病室がドッと沸いた。

 アランはその笑い声をしっかりと受け止め、呟いた。

「ありがとう、ジョン。俺もそう長くはないみたいだが、あんたの意思はしっかりと受け継いでいくからな」

「アラン。そのおばさんは何歳くらいだ? 俺は50歳くらいまでなら許容範囲だけど」とロスが言った。
「あんたは修道士だろ」
「もうお役御免になった」
「だったらぴったりだぞ。若く見積もって80だな」
「は、80! 遠慮しとく」
 
また病室が笑った。

 サウサンプトンの港で、クイーン・エリザベス号専門のけちくさい泥棒家業がたたって、敵国ドイツではない味方のアメリカ兵に狙撃されたアラン・コールという男。ノブレス・オブリージュもホーム・ガードも無縁だった男。

 彼は重傷を負い、ネットレイ病院で処置を受け、この「死を待つ病棟」に運ばれてきた。そしていま「ジョンがいた窓辺」と呼ばれたベッドの主となっている。

 ジョンやアランを変えたのはひとなのか神なのか。私にも解らない。ただひとつ言える事がある。それは、悔いた意思と変わりたいと願うたましいの叫びには、必ず応えてくれる存在がある。それはまぎれもない事実である。

 


 

◆ある日の学び。実り多い死とは

ここのところ体調が思わしくなく、そんなに長くないミサの間さえ、全ての時間を集中して享受出来ません。

少しばかりやっかいな状況です。もっとも、病は気から、なんて言いますので、そう言うことなんでしょうかねぇ。

って、どういうこと?

ミサの最後に、信徒さんたちにお知らせをすることもあるのですが、ひとつのセンテンスでさえ息が続かないのです。そんなときは、帰宅しながら、知らず知らずに我が身の「死」を想ってしまいます。

もちろん、そう簡単に死ぬつもりはありませんし、そうありたいと願ってもいます。気分は目指せ100歳です。あと数十年。

それは、ちと、厳しいか。い、いや、厚かましいか(^^ゞ


死で思い出したのですが、尊敬するヘンリ・ナウエン司祭の言葉に印象的なものがありました。

真に問うべきことは
「どのように生きれば、わたしの死が他の人にとって実り多いものとなるだろうか」ということです。
(ヘンリ・ナウエン著、工藤信夫訳「わが家への道 実を結ぶ歩みのために」あめんどう社)

イエスさまの生涯はとても厳しいものでした。迫害もありました。誤解も偏見も。そして、人生の集大成がひとびとの(特に12使徒のひとり、ユダの)裏切りと、弟子たちの遁走。なかでも、最愛のペトロの拒絶は最悪な出来事でした。

最期は、十字架による「死」、です。

しかし、イエスさまの十字架による死があったからこそ「復活」があり、「聖霊」が私たちに送られてきました。ここに、ひとびとの罪の贖いと救いが完成したのです。

ヘンリ・ナウエン司祭は、私たち個々人の死も、このイエスさまの死と同じ意味を持つのだと仰います。そうしてこう続きます。

「あなたがこの世に遣わされたのは、和解の民となるためです。それは、あなたと隣人との間の壁を、地域においても、国においても、世界においても、取り壊し、癒やすためです。

あらゆる差別、あらゆる分離、また恐れの上に建てられた壁ができるより先に、神の思いと心における一致がありました。その一致のなかから、あなたはしばらくの間、この世に送り出されたのです。それは、他の全てのひとが永遠から永遠に至るまで生きておられる愛の神に属することを告げ知らせるためです」。

どう生きれば、私の死は他の人のために実り多いものとなるのでしょう・・・

私が生きている間に、私は「和解の民」となれるでしょうか。

短い時間で、果たして「他の全てのひとが永遠から永遠に至るまで生きておられる愛の神に属することを告げ知らせる」ことができるでしょうか。

まずは、私自身が、神さまから、イエスさまから無限の愛で護られ包まれていることをしっかりと知る、そこからはじめなければならないのでしょう。

私は(もちろん誰も)、イエスさまと一緒に旅をしています。そして、いつかこの世界から去って行きます。それは、その「死」は、他の人々を溢れる愛で実り豊かにするために必要不可欠な出来事なのです。

そう教えられた一日でした。

 わたしの目にあなたは価(あたい)高く、貴く
 わたしはあなたを愛している。

 イザヤ書43章4節 新共同訳聖書



◆あおいくまとあかいさい

ものまねタレントのコロッケさんは、子供の頃から「あおいくま」がこころの支えだったそうです。

あおいくま? え、これ?↓↓↓

 



ちがぁ~いますう!

あおいくま、とは、コロッケさんのお母さんが教えて下さった「心得」なのだそうです。

 あ:あせるな
 お:おこるな
 い:いばるな
 く:くさるな
 ま:まけるな

功成り名遂げるひとのお母さんというのは、凄いですね。たったこれだけの言葉で、息子をエンターテイメント界の頂点まで導かれたのですから。コロッケさんご自身の精進・努力があっての成功だとは想いますが、その動機づけになったのは、間違いなくお母さんの言葉だったはずです。

もっとも、「功成り名遂げる」には続きがありまして、「身退(みしりぞ)くは天の道なり」。成功したらさっさと引退しろ、って老子先生が仰ってます。

もちろん、コロッケさんは頂点に立ったなどとは思っておられないでしょうし、引退もそんなに簡単にはなさらないでしょう。

老子先生の言葉はともかく、こんなお母さんに育てられたら、ひとは誰も、謙虚で優しくて、頑張り屋さんなひとに育っていくんだろうな、とつくづく想います。

私は特に「まけるな」が好きですね。お母さんの意図はきっと、他人との競争に勝て、ということではなく、自分自身の弱さに打ち勝ってガンバレ、という願いなのでしょう。


実は、私にもそんな語呂合わせ? の持ち合わせがあるんです。それは、「あかいさい」。

は? これ、ですか?↓↓↓



ちがぁ~いますう!

あかいさい、は、私の両親や先生や先輩から頂いた言葉ではなく、信仰生活のなかで、気がついたら口ずさんでいた言葉です。イエスさまから頂いた、とも言えるかもしれません。

 あ:ありがとう
 か:神に感謝
 い:祈りとともに
 さ:賛美して
 い:一生懸命生きましょう 


ヨハネの福音書1章1節から4節にはこう書いてあります。

初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。


ひとをおとしめる言葉ではなく、自分も他人も幸せにする言葉を常に持ち続け、発し続けましょう。それが、家庭・地域・学校・会社、そして、教会で、笑顔で、幸せに満ちた暮らしをする秘訣だと思うのですが、どうでしょうね。

 

 

◆8月に想う戦争と信仰

パール・バックの小説「神の火を制御せよ―原爆をつくった人びと」は1959年に出版され欧米諸国でベストセーになりました。日本でもとっくに、と思っていたのですが、初版はなんと2007年の夏でした。日本人の怒りが治まった頃合いを見計らっての出版、と見るのは穿ちすぎでしょうか。

アメリカは1940年に原爆開発(マンハッタン計画)に着手します。この計画発端から実験成功を経て、広島への原爆投下までの流れを史実に則って小説に仕上げたのが本書の内容です。

本文中で「(原爆の開発は)悪魔の仕事だ。だが、ほかの悪魔が先に作ったらどうする」という問いが発せられます。世界を武力によって席巻しようとするナチスドイツへの恐怖心が、大統領以下多くの科学者たちの心を蝕んでいました。

ところが、完成した時にはドイツは降伏しており、日本も国土のほとんどが焦土と化し、降伏するのも時間の問題でした。もう原爆を使う必要はなかったのです。しかし、トルーマン大統領はなにもかも承知で原爆を投下したのです。長崎にまで。
 
開発のリーダー的存在だったホール博士を妻が詰る場面があります。博士は応えて言うのです。(日本への原爆投下が抑止力となって)もう二度と戦争は起きない。戦争のために死ぬことも泣くことも失うことも永久にないだろう、と。

しかし、現実はどうでしょう。その後もアメリカは(ロシアもイスラエルも)世界の先頭に立って核開発を続け、詭弁を弄し、たくさんの国と地域で戦争を引き起こし、他国の無辜の市民の命と財産どころか自国の兵士の命さえ奪い続けています。

原爆に限って言うなら間違いなく日本が被害者です。しかし、キリスト教国であり、キリスト者だと豪語しながら、いまだに神も罪も知らない(知ろうともしない)国と指導者たちは、もっと哀れな存在です。

教皇レオ14世は、サグラダ・ファミリアの「イエスの塔」の完成を祝うミサでこう説教なさっています。

「私たちはイエスを信じながら戦争を助長することは出来ない。イエスを信じながら罪のない人々を殺すことはできない。苦しむ人、泣いている人、悲惨さから逃れようとする人を見捨てることはできない」と。

教皇さまのお言葉に呼応し、立ち上がり、戦争を続けようとする指導者たちをいさめ、苦しむ人々に手を差し伸べる信仰者たちが、この世界にどれほど存在するでしょう。

8月が来るたびに思います。この月は、私たちの信仰が問われている特別な時間なのだと。

 

 

◆天草小唄

各自治体には県歌や市歌があると思うのですが、天草市には特定の市歌はありません。

ただ、天草市民にこよなく愛されている歌はあります。その代表が「天草小唄」です。

「東京天草郷友会」のページにはこう説明されています。

天草小唄は、牛深出身の歌手である横田良一(芸名:横山良三)さんが歌われています。横田さんは、コロムビアレコードでは横山良三(その他のレコード会社では横田良一)で、おそらく100曲以上のレコーディングをなされています。昭和7年にテイチクからも天草小唄を出していますが、ヒットした天草小唄はコロムビアレコード発売(昭和8年12月)のものです。横田良一さんは26歳の若さで亡くなりましたが、牛深では『横田良一祭り』が行われています。


ちなみに、天草小唄の歌詞は以下のようになっています。


 作詞 平野雅昿
 作曲 大村能章
 歌唱 横田良一

  1.波に揺られて 不知火消えりゃ
    朝日ほのぼの 有明そめる
    ここは天草 あの切支丹
    かなし殉教の 夢の島

  2.浮かぶ白帆に 絵のような島に
    走る汽船の 煙が残る
    上と下との 縁(えにし)の瀬戸を
    渡りゃ本渡の 文華(はな)の町

  3.雲か山かと 山陽が詩(うた)の 
    灘のかなたに 夕陽が沈みゃ
    やさし巴の 白洲の腕に
    抱かれて眠る 袋湾

  4.温泉白鷺 ドライブ疲れ
    翌朝牛深 今宵は﨑津
    熱い情けの 一夜を明かしゃ
    出船別れの 涙雨

YouTubeには、「天草島民で唄って、つなぐ『天草小唄』」としてUPされていますので、是非ご覧になって下さい。


天草市の時報で毎日このメロディが流れてきますので、ほぼ全ての天草島民が口ずさめると思います。

昨夜も時報のメロディを聴きながら、ふと思い出して、不謹慎ながら吹き出してしまいました。



今年の初め、アベイヤ司教さまをお迎えして堅信式が行われたのですが、その後、堅信者のお祝いと司教さまの歓迎会を信徒たちで計画し、みなで食事会を開きました。

「食事会の余興はどうする?」
「大江教会と崎津教会で死ぬほど働いていらして、その後の本渡教会だから、仕事を離れてゆっくりしてもらえばどうかね」
「中村神父さまも病み上がりだから、元気になっていただきたいしね」
「日本舞踊を披露するのはどう?」
「いやいや、踊れる信徒さんも高齢化してるし、踊りの最中に足腰を骨折、なんてことになったら洒落にもならん」
「確かにねぇ・・・」
「カラオケ大会は?」
「いくらなんでも、司教さまにカラオケを歌っていただくなんて恐れ多いだろ」
「確かにねぇ・・・」
「天草のカトリック教会って、大江と崎津だけだよねって言われるくらいに、本渡は影が薄いよねぇ」
「確かにねぇ。歴史もない。観光客も巡礼団もほぼ来ない」
「でも、影が薄いと言っても透明って訳でもないぞ」
「一番元気がいいのは本渡だしね」
「確かにねぇ」
「よし。天草小唄をみんなで大合唱して、司教さまと中村神父さまを元気づけようぞ」
「ソルガヨカバイ@※*♯‰%∂∞∀∇&†‰」←どこの言葉だよ(笑)。

という話しがあったとかなかったとか。

食事会当日、会場の幼稚園ホールには天草小唄のカラオケが大音響で流れ、そして信徒全員大合唱、ノリノリで歌ったのでありました。

アベイヤ司教さまと中村神父さまは、さぞお喜こびになったでしょう、ってか?

あ、い、いゃあ・・・ハハハァ~(^^ゞ 苦虫をかみつぶしたようなお顔を、特に司教さまはなさっていましたぁ。

こうして、本渡教会信徒たちのもくろみは物の見事に外れたのでありました。

アベイヤ司教さま、中村神父さま、半年も前のことですから、もうお忘れかとも思いますが、その節は大変失礼を致しました。「天草小唄」に罪はありません。イエスさまのご寛容にて、なにとぞお許し下さい。




◆青枯れ病

管理人は野菜を育てています。プロの農家ではありませんが、家庭菜園よりも規模は大きいかもしれません。

そんな管理人の頭を悩ませているのが、青枯れ病です。トマトやナス、ピーマンなどに多発するので、私はこの病を「ナス科界の不治の病」と呼んでいます。

青枯れ病の原因は、ラルストニア・ソラナセアラムという細菌らしいのですが、いまのところ、この細菌を根絶させる薬はありません。

「初期には葉の先端部が昼間に萎凋し、曇天時や夜間に回復することを繰り返す。症状の進行とともに回復しなくなり最終的に枯死する」

との説明が、ウイキペディアや専門書などには記載されていますが、まさにそのとおりで、管理人の畑のトマト・ナスがいまこんな状態です。

ずっと順調でした。茎も葉も青々と生長し、たくさんの実をつけ始めました。ところが、風雨がとても強い日が二日ほどあって、その翌日から晴天が続きました。そうするうちに日中にしおれ始め、それでも夜から明け方はシャキッと元気になり、お、快復したか? と喜んでいたのも一瞬でした。見る間に枯れ始めたのです。

こればっかりは、発病してからいろいろ対策を講じても全く意味をなしません。私のこころもまさに青枯れ状態。畑を眺めてはため息をついています。

人間に譬えるなら、20代半ばから40代前半くらいの、まさに花も実もある働き盛りのひとがある日突然に倒れ、それでも薬石の効あっていったんは元気になった。しかしそう見えたのもつかの間、やはり元気にはなれなかった。

そんな状況でしょうか。

人間さまと野菜ごときを一緒くたにするな! と怒られそうですが、人間を「さま」と呼ぶほど高慢ではないと思っていますし、野菜を「ごとき」と蔑むつもりもありません。


青枯れ病を出さないための対策は、まず土作りをしっかりとする。そして、病に強い接ぎ木苗を使う。さらに、コンパニオンプランツと呼ばれる青枯れ病を抑制するネギ類やマリーゴールドなどを混植する。

そんなところですが、これで完璧、というわけではありません。段違いに成績はよくなりますがそれでも、発病するときはするんですよね。

イエスさまは、マタイの福音書13章3節から9節までで、以下のように語っておられます。

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

ここに青枯れ病そのものといえる箇所はありませんが、あえて譬えるなら「ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった」という箇所でしょうか。

良い土作りをしていないと、芽は出て生長するけど「日が昇ると焼けて、根がないために枯れて」しまうことになります。まさに青枯れです。

病気に強い接ぎ木苗を使うとは、イエスさまという台木にしっかりと接ぎ木をして貰うことを意味しますし、コンパニオンプランツとは、教会に通い、健全な信仰の友を得て、ともに成長していくということでしょう。

ひとも野菜も、青枯れしないように、対策を万全に施し、豊かな実を結びたいものですよね。




◆質問コーナー 3


Q 8.なぜ神様はそんなに人間によくしてくださるのですか?

A.神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネの福音書3章16節。


明確な回答がヨハネの福音書3章16節には書かれています。「その独り子」とは、イエスさまのことです。

でも、こう返してくるひとが必ずいます。

「だったらなぜ戦争がある!」
「不治の病がある!」
「災害がある!」
「なぜ強盗や殺人鬼が存在する!」
「そいつらによって大切な愛するひとを失ったりするのはなぜだ!」
「不条理だろ!」

怒りがこみ上げてくるのはもっともな感情です。

管理人の私も、複数の苦悩を抱えています。両親を呪ったことも、他人や医師のせいにしたり、自暴自棄になったこともありました。

ローマ書にはこう書かれています。

現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。ローマの信徒への手紙 8章18節 

信仰の先輩で、私の文学の師からこの言葉をいただいたとき、私の怒りは爆発してしまいました。

「私の痛みが取るに足りない? だったら替わって下さいよ。私が欲しいのは、そんな先の話しじゃないんです! 今現在を苦痛なく生きたい。それだけを願ってなにが悪いんです! どうにかして下さいよ!」と。

すると、先生は悲しそうに仰いました。

「もっともな怒りだと思うよ。ただ、ローマ書の言葉にある『現在の苦しみ』というのは、個人的な病気や経済的なことや、災害による被災事案とかじゃなくて、この時代そのものが苦しみに満ちている、という意味なんだよ。それは決して神が与えたものではない。おまえだけが苦しいわけじゃない。みんな、大なり小なり苦悩を抱えている。でも、イエスさまを信じ受け入れるとき、私たちには希望が与えられるんだ。それが理解出来るようになる」

嘘だと思いました。

それでも、信じ続け、祈り続け、教会に通い続けているうちに、病気は悪くなっているのに、苦しみの部分は少しずつ減少していきました。

痛みと苦しみをほんの少しだけ脇に置いて、誰かの為に祈ることができる。ひ弱な力しかありませんが、少しでも手を差し伸べて支える手助けができる。

良い人間になれた、わけではありません。でも、常に自分だけが中心であった世界観から、もう少しだけ視野を広げることができるようになったということでしょうか。これはもう、私にとってイエスさまと出会っていなかったら絶対に実現しなかった現実であり、現象でした。

理屈ではないので、なかなか理解しがたいかもしれないですね。




Q 9.どうしてミサで聖書の朗読を聞くのですか?

A.実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。ローマの信徒への手紙 10章17節


以前にも書きましたが、ひとが聴覚から得る情報は10%程度です。それでも、まずは、神の言葉を聞いてみないことにはなにも始まらない。それが信仰の極意です。


Q 10.神様のもとにいくにはどうすればいいのですか?

A.イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。ヨハネによる福音書 14章6節


聖書を使っているのに、聖書を信じていると言っているのに、イエスさまを否定する新興宗教もあります。

私たち正統派のキリスト教会は、ただただイエスさまのお言葉通り、イエスさまを信じ、受け入れています。その行為の先は、イエスさまが導いて下さいますからなにも心配はありません。


Q 11.なぜ洗礼を受けなければならないのですか?

A.イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。ヨハネによる福音書 3章5節

A.実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。ローマの信徒への手紙 10章10節


たとえば、目の前にミカンが置かれています。この果実の成分について、ウイキペディアや専門書などで調べて学習することは可能です。が、それでは知っていることにはなりません。

食べてはじめてミカンの味を、他の果実との違いを知ることができます。

この食べる、という行為が洗礼を受けることと同じです。と言うのは乱暴すぎますけど、イエスさまを信じます、受け入れます、と公に表明することはとても大事な、避けて通れない真理へと至る通過儀礼です。


どんな組織であろうと、そこに属するためにはそれなりの約束事に従う必要があります。日本国憲法まで広げるつもりはありませんが、学校には校則があり、町内会には自治会則があります。会社には社則が存在し、誰であろうと、その規則を学び、理解し、遵守する誓約を表明しなければなりません。それは教会でもなんら変わりません。

洗礼を受けたい方は、ぜひ教会の洗礼準備会に出席して下さい。一緒に学びましょう。




                    ※ウィリアム・アドルフ・ブーグロー「少女」

 

最後に、初心者の方のために、祈り方の一例を挙げておきます。祈り、といえば「主の祈り」ですし、カトリックにはさらに多くの祈りがあります。それはそのうちにということで。


【祈り方の一例】

「イエスさま、あなたのことを個人的に知りたいです。あなたが、私の罪のあがないのために十字架上で命を捨ててくださり、そして三日目に死から復活してくださったことを信じます。そして感謝します。
 
あなたを私の人生にお迎えします。あなたが私に変える力を与え、罪の状態から救ってくださる、唯一のお方だと信じます。
 
永遠のいのちが与えられ、創造主なる神とともに過ごせることを感謝します。私の人生を導いてください。私があるべき姿に、私を造り直して下さい。私たちの主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン」。




◆質問コーナー 2



前回に引き続き、よくある質問にお答えしていきたいと思います。

前回同様、記載内容につきましては、たくさんの神父さまや、プロテスタント教会の先生方が教えて下さっている内容をそのまま引用させて頂いたりしています。ご了承下さい。


Q4.日本語の翻訳にはどんな種類があるのですか?

A.文語訳・口語訳・共同訳・新共同訳・聖書協会共同訳・新改訳・リビングバイブルなどがありますが、文語訳が使われることはほとんどありません。方言の聖書として、東北弁で書かれた「気仙語訳聖書」という珍しいものもあります。

カトリック信徒が使う聖書でお薦めは、フランシスコ会訳聖書です。また、視力障害者などにお薦めは、ともに聴く聖書(新改訳2017)があります。これは、スマホにアプリを入れて聴くようになっています。文字も同時表記されますので、目で読みたいひとにもお薦めです。重たい聖書を持ち歩く必要がありませんので、是非活用して下さい。


Q5.共観福音書とはなんですか? 

A.「マタイによる福音書」「マルコによる福音」「ルカによる福音書」の三つを「共観福音書」と呼びます。いずれも、イエス・キリストの誕生、神の業、神の国についての教え、受難、復活などを読みやすい形をとって書かれています。

「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」は「マルコによる福音書」を参考にして書かれたと言われています。そしてこの三つは「Q資料」と呼ばれる元になる文書(イエス語録)があったのでは、と考えられています。ちなみに、「Q資料」の「Q」とは、ドイツ語の Quelleクベレ「資料」の頭文字です。

ただ、この資料の存在については、いまだ謎のままで、結論は出ていません。

「ヨハネによる福音書」の成立時期は共観福音書よりも遅く、共観福音書を資料として使っていることが認められています。

著者の意図は共観福音書とは異なり、単なるイエス・キリストの生涯をなぞることではなく、もっと深く掘り下げ、★イエス・キリストが父なる神の愛する一人子であり、★神の子そのものであること。★イエスが全人類の罪を担う贖い主であること。★神の霊である聖霊が復活後に助け主として私たちキリスト者に送られる(贈られる)こと。

つまり、イエス・キリストは「愛」そのものであることを伝えたかったのではないかと考えられています。


Q6.新約聖書内のタイトル名と著者は同じと考えていいのですか?

A.福音書のタイトル名と著者は同じだと考えられています。使徒言行録の著者は、ルカの福音書の著者ルカであると思われます。

パウロ書簡の著者は使徒パウロですが、そのうち間違いなくパウロが書いた、と言われているのは、以下の七つです、

 ●ローマの信徒への手紙(ローマ書)
 ●コリントの信徒への手紙1
  (コリント人への手紙・第1コリント)
 ●コリントの信徒への手紙2
 ●ガラテヤの信徒への手紙(ガラテヤ書)
 
 ●フィリピの信徒への手紙(ピリピ書)
 ●テサロニケの信徒への手紙1
   (テサロニケ人への手紙・第1テサロニケ)
 ●フィレモンへの手紙(ピレモン書)


ヘブライ人への手紙の著者については、シラス説、バルナバ説、ルカ説などがあり、マルティン・ルターは、アポロが書いたのではないか、と主張しています。

公同書簡と黙示録の著者は、それぞれ一致しています。ただ、ヤコブの手紙のヤコブ、ユダの手紙のユダがイエスさまの兄弟ヤコブとユダなのかについてはよく解っていません。ユダについては、タダイと呼ばれたユダである可能性も否定されていません。


Q7.新約聖書の中で一番大切なところはどこですか?

聖書の言葉は、そのひとそれぞれにイエスさまが語りかけて下さる大切な御言葉です。すべて大切ですが、個人的に特別に語ってくださった御言葉をこころの糧にし、生きていきましょう。以下は、一例です。(新共同訳聖書から)

 例1
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」使徒言行録16章31節

 例2 
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネの福音書16章13節

 例3
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。マタイの福音書11章28節~30節

 例4 
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。コリントの信徒への手紙1 13章13節

 例5
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。ヘブライ人への手紙11章1節~3節

 例6
恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。イザヤ書41章10節


続きは次回、その3に書かせていただきます。



◆質問コーナー 1

ある信徒さんから「あんたのこのコーナーの文書は、それぞれが長すぎる」と言われました。確かに、長いです(笑)。依頼があって書くときは、ほぼ100%文字数指定があります。400字原稿用紙5枚で、とか10枚で、とか。

それだと書きやすいのですが、思いつくままなんの制約もつけずに書きたいだけ書く。というときは、とにかく長くなってとりとめがなくなって、節操もなく書き殴っています。

一応、反省はしております。はい。

で、今回は、教会に来始めの方からよく質問を受ける内容についてお答えしたいと思います。

あ、もちろん、簡潔にです。

「はじめての方へ」のページにも、基本的なことは書いておりますので、そちらも併せてお読みください。

記載内容につきましては、たくさんの神父さまや、プロテスタント教会の先生方が教えて下さっている内容をそのまま引用させて頂いたりしています。ご了承下さい。

 



【Qどうしてイエスさまを信じるのですか】

A.この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった。ヨハネの福音書1章12節。

と、聖書には書かれています。

神の子供? そんなものにならなくても、別にいいや。私はこれまでもそこそこ生きてきたし、これからも生きていけるから。

そういうひともいますよね。でも、実は、人間は知らないうちに「神さま助けて下さい」。と、祈っているんですよね。

お正月に神社の初詣にいき、お賽銭を入れて鈴の尾をガラガラとふって、柏手を打って、家内安全・商売繁盛・傷病平癒を願うのが、神頼みの証拠です。

初詣を馬鹿にするのでもなく、そこに出掛けるのもそのひと次第。自由だと思っています。それで願いが叶うのなら。

ただ、イエスさまは自動販売機ではありませんので、コインを入れてボタンをおせば商品が落ちてくる。なんてことはありません。

が、真の意味で「神の子供とされる特権」を頂ける幸いを知るというのは、虚空を打つむなさしではない胸の高鳴りを覚えます。この汚れた、罪にまみれた私をあがなって下さった貴いイエスさまの十字架の死と復活。

罪とはなんですか? あがないとはどういうこと? 死んだのに復活した?

当然の疑問ですよね。近いうちに改めて書きたいと思います。

※初詣を自動販売機に譬えるのはよくなかったですね。すみません。



さて、私たちキリスト教徒にとってもっとも大切にすべきは「新訳聖書」です。今回は、以下に、Q&Aの形で質問にお答えしていきますので、お読み下さい。


【新約聖書についてのQ&A】

Q 1.新約聖書とはなんですか?

A.1世紀から2世紀にかけて書かれたイエス・キリストに関する書簡群の総称です。27の書から成り立っており、★イエス・キリストの生涯と言葉が綴られた四つの「福音書」。★初代教会の歴史が書かれた「使徒言行録」、★初代教会の指導者たちによって書かれた「書簡」に分かれています。

歴史的な新旧で「新約聖書」「旧約聖書」と区別するのではなく、信仰的に、神と人間の古い契約(神が律法を人間に与える→人間が厳守する→神の祝福)を記した書が「旧約聖書」で、新しい契約(イエス・キリストを信じるだけで人は救われる)を著した書が「新約聖書」と理解して下さい。

現在では旧約聖書を「ヘブライ語聖書」、新約聖書を「ギリシア語聖書」と呼ぶこともあります。

Q2.新約聖書は何語で書かれたのですか?

A.イエス・キリストと弟子たちはアラム語(紀元前1千年~から紀元600年頃までにシリアやメソポタミア地方で使われていた言語)を使っていたと言われています。が、書物としての新約聖書は、そのほとんどが「コイネー」と呼ばれる口語的なギリシア語で書かれています。コイネーは、アレクサンドロス大王のマケドニア王国とその後のヘレニズム諸国の公用語です。

それがわりと早い時期に、ラテン語(古代ローマ帝国の公用語)やシリア語(中東に住むキリスト教徒の典礼言語)、コプト語(4世紀頃のエジプト語)に翻訳されて世界各地に広がっていきました。

Q3.新約聖書の構成はどうなっているのですか?

A.新約聖書には27の書簡があります。これを区別すると以下のようになります。

■福音書(イエス・キリストの生涯と死、そして復活の記録です)

 ●マタイによる福音書
 ●マルコによる福音書
 ●ルカによる福音書
 ●ヨハネによる福音書

■歴史書(初代教会の歴史が書かれています)

 ●使徒言行録(使徒行伝)

※注 日本語にもいろいろな翻訳があります。新共同訳聖書のとおりに表記しますが、その翻訳によって、()のような表記がされることもあります。どちらかが正解でどちらかが間違っているというわけではありません。

■パウロ書簡

使徒パウロが書いた手紙の総称です。時代的には、四つの福音書よりも先に書かれたと言われています。ただ、以下の全てをパウロが書いたのかどうかについては、研究者によって意見が分かれるところです。

 ●ローマの信徒への手紙(ローマ書)
 ●コリントの信徒への手紙1
  (コリント人への手紙・第1コリント)
 ●コリントの信徒への手紙2
 ●ガラテヤの信徒への手紙(ガラテヤ書)
 ●エフェソの信徒への手紙(エペソ書)
 ●フィリピの信徒への手紙(ピリピ書)
 ●コロサイの信徒への手紙(コロサイ書)
 ●テサロニケの信徒への手紙1
   (テサロニケ人への手紙・第1テサロニケ)
 ●テサロニケの信徒への手紙2
 ●テモテへの手紙1(テモテ書)
 ●テモテへの手紙2
 ●テトスへの手紙(テトス書)
 ●フィレモンへの手紙(ピレモン書)
 ●ヘブライ人への手紙(ヘブル書)

■公同書簡

特定の共同体や個人にあてられたものではなく、俯瞰的な意味合いを持たせて書かれた書簡という意味です。

 ●ヤコブの手紙
 ●ペトロの手紙1(ペテロの手紙・第1ペテロ)
 ●ペトロの手紙2
 ●ヨハネの手紙1
 ●ヨハネの手紙2
 ●ヨハネの手紙3(第3ヨハネ)
 ●ユダの手紙


■黙示文学

 ●ヨハネの黙示録


続きは次回に書かせて頂きます。



◆大いなる勘違い

先日、相方と二人で車で走っていると、お昼時なりました。おなかがすいたので適当なお店を探していると、相方がお洒落な喫茶店(かもしれない)建物を発見。車をお店の前に停めて店に入りました。

「いらっしゃいませぇ。暫くお待ちくださいね」と若いスタッフの声。

軽快なジャズが流れています。

「ご予約ですかぁ」
「いえ、飛び込みです」
「で、今日はどのように」
「ピザが食べたくて・・・」と相方。
「はあぁ!!」
「え??」
「うち、美容院なんですけどぉ」
「し、失礼しましたぁ!」

お店を飛び出して振り返る私たち。
いや、どう見ても喫茶店か洋食屋さんである。美容院の看板もないし。

人間は情報の八割を視覚から得ているそうです。見た目で判断して、これは美味しそうだ、とか、このひとは優しそうだ、とか、乱暴そうなひとだ、などと判断するわけで、じつに紛らわしい。

空腹はひとの判断を鈍らせるようで、笑いながらも、やり場のない無力感がこみ上げてきました。あ、もちろん、お店の責任ではありません。が、せめて「ここは美容院で、喫茶店でもレストランでもありません」なんて看板を出して欲しいものだ、などと、私と相方は話し合ったのでありました。

いやいや、それこそお店の責任ではないでしょ。ってか? ですよねぇ。


先日、教会の用事で、他教会のAさんに電話を掛けました。

私用で手が離せないから、終わったら折り返すと言われました。その私用、H市のお店で服と靴の調達をするために、いまはお店の中で物色している最中だというのです。

天草市より小さいH市にまで出掛けて? そんなamazingなお店が出来たのか?・・・

待つこと40分。返信がありました。でも、話しが全く通じません。

「教会? はぁ? 神父さまがどうしたって? 俺、生まれてこの方一度も教会には行ったことがないぞ」
「え? え? だ、大丈夫? 熱でもあるんじゃ・・・」
「・・・もしかしたら、おまえ、別人と間違えてるだろ。俺はB市のAだぞ」
「はぁ? A市のAさんじゃ、ない・・・の?」
「ちがぁう! アホか」

名字が同じ。年齢もほぼ同じ。体格も似たような状況。でも、電話です。声のトーンも酷似していたとはいえ、電話の声だけで判断した私も責められてしかるべきでした。なにしろ、ひとが聴覚で得る情報は10から11%程度しかありませんし。

まあ、間違ったお陰で、超ご無沙汰だったB市のAさんと懐かしい昔話しに1時間以上も花が咲きましたので、とりあえずよしとしましょう。

い、いや、そういう問題でもないか(^^ゞ


ひとは、視覚や聴覚に加え、触覚や嗅覚他の感覚を使って物事を判断するわけですけど、得た情報を鵜呑みにしてしまうことで、とんでもない勘違いをしてしまうことも珍しくありません。笑い話で済めばいいのですが、その思い込みがこうじて自分を責めたり、他人を傷つけてしまうことにも発展してしまいますのでやっかいです。

教会でのもめ事の多くは、聖書に基づかないで、自分のやり方、教会の言い伝え、方法論にこだわりすぎていることで諍いが起こることが実に多いように思います。

イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。(マルコによる福音書 7章9節)

主は言われた。「この民は、口でわたしに近づき唇でわたしを敬うが心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしてもそれは人間の戒めを覚え込んだからだ。(イザヤ書29章13節)

ミシュナやタルムードと呼ばれている、言い伝えの律法を、ユダヤ人に限らず、現代のキリスト者も聖書よりも上位に置きがちです。大いなる勘違いだといわなければなりません。


とはいえ、そもそも、イエスさまの誕生から勘違いの連続ですから、私たちが間違うのも無理はありません。

イエスさまの誕生について、東方の占星術師たちはヘロデ王に「ユダヤ人の王として生まれた方はどこにおられますか?」(マタイの福音書2章2節)と尋ねています。

こんな聞き方をされたら誰でも思うはずです。

ユダヤ人の王が生まれた? ということは、あのダビデ王やソロモン王のように武力でローマ帝国を蹴散らしてくれるのか? ということは、私の地位も安泰ではない・・・だったらいまのうちに二歳以下の男児を皆殺しにしてしまえ。

ヘロデ王の思い込みによってのっけから悲劇が起こります。

さらに、あの洗礼者ヨハネも勘違いしていたのかもしれません。

ヨハネは、イエスさまが救い主であることは確信していました。それでも、自分が想像していた救い方をなさっていないような・・・。そんな思いにとらわれたのでしょう。牢獄から弟子たちをイエスさまの元に遣わしてこう尋ねさせています。

「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と。(マタイによる福音書 11章3節)

イエスさまは応えて言われます。

「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(4節から6節)

※ ※ ※

また、イエスさまに最も信頼されたペテロも大いなる誤解・勘違いをしています。

イエスさまはペテロを「岩」と呼び、教会をあなたの上に建てるとか、天の国の鍵を委ねる、とさえ仰っています。それなのに、以下のようなやり取りが繰り広げられます。

イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。

すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マタイの福音書16章21節から23節)

ペテロも、イエスさまの救い主像を自分の望むままの形に創り上げています。

 



大いなる勘違いは、笑って済ませられるものから、イエスさまにサタン呼ばわりされる類いのものまで様々です。

私たちがこころすべきは、常に謙虚になって考え、祈り、自分の言動が独りよがりになっていないか、神さまの、イエスさまの道から外れていないかをしっかりと見極め、確認していかなければならない、ということなのかもしれませんね。

間違ってばかりいるおまえに言われたくない? ごもっともです。はい(^^ゞ

 


◆ラザロとは何者だったのか

最近、福音書に登場するラザロのことばかり考えています。

福音書には二人のラザロが登場します。ひとりはヨハネの福音書11章に記されているラザロです。彼はベタニアという街に暮らし、マルタとマリアというふたりの姉(多分)と三人で暮らしています。俗に「復活のラザロ」と呼ばれています。

もうひとりのラザロは、ルカの福音書16章に登場する物乞いのラザロです。

この二人には、名前の他に共通点はなく、全くの別人であるというのが大方の見方です。

ちなみに、ラザロとは、ヘブライ語のエルアザルがギリシャ語読みになったもので「神は我が助け」という意味があります。

※ ※ ※

聖書の登場人物は、旧約・新約に限らず、とにかくユニークな存在として描かれ、人間あるあるという視点がとにかく素晴らしいですよね。福音書の12使徒もそうですし、マルタとマリアも実に人間らしい。

マルタは長女らしく、お節介で働き者。物事をきっちりと片付けていかないと気が済まない。一方マリアはおっとり。優柔不断なようで愛情豊か。イエスさまの足に香油を塗り、自分の髪で拭いたりするような大胆な性格でもある。

イエスさまはこの三兄弟を特に愛しておられました。ただ、どういういきさつで知り合いになって、どのような交流が続いたのかまでは書かれていません。それでも、イエスさまにとって彼らは12使徒とは別の意味で特別な存在であったことだけは確かなようです。

と、そこまで考えて、ふと立ち止まってしまうのです。

※ ※ ※

だったら、ラザロはどんな青年だったのだろう。イエスさまとどんな会話をしたのだろう。いろいろ考えてみるのですが、マルタとマリアの性格が強烈過ぎて、ラザロの性格・人格がさっぱり見えてこないのです。

ヨハネの福音書を読むと、ラザロは病気になり、やがて死んでしまいます。

もともと病弱だったのかもしれません。ふたりの姉に圧倒されて、自分を出せないような、誠実で無口なおとなしいひとだったのではないでしょうか。そうでなければ、イエス様が彼の死について涙を流されるはずがありません。もちろん、主の涙の意味にはそれだけではない複雑な感情も含まれるのでしょうが、ここではあえて触れません。

イエスさまは、死んで四日も経ったラザロを復活させます。この部分を引用してみます。

イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。

人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」

こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。(ヨハネの福音書11章38節から44節 新共同訳聖書)

ここでもラザロは一言も発しません。

彼が何を思い、その後はどうなったのか。どうしても引っかかってしまいます。

今で言う「臨死体験」などではありません。死んで四日も経って、肉体は腐敗し、臭いまでしてくる。そんな死者が復活したのです。ネットなど勿論ない時代です。それでも、彼の噂は他国にまでとどろいたことでしょう。彼の元へは連日たくさんの群衆が押し寄せ、死後の状況を問いただしたことでしょう。天国はあったのか。地獄は? 父なる神にお会いしたの?etc。そのあまりの混雑ぶりに耐えられなくなって、この三兄弟はベタニアから逃げ出したかもしれません。

あるいは、それでも踏みとどまって、イエスさまのなさったことを証しし、イエスこそメシアである、と力強く宣言する日々を送ったかもしれません。

それにしても、人格も性格も見事に打ち消して表現されているラザロとは一体何者なのでしょう。ルカの福音書の物乞いラザロは「その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた」(21節)と、人間らしいことを考えています。が、こちらはイエスさまのたとえ話に登場する架空の人物です。福音記者が現存者としてベタニアに配置したラザロとは性質そのものが違っています。

※ ※ ※

復活のラザロはなにも語りませんし、思考することもありません。

現代社会で、墓に葬られて四日も経った死者が生き返ったなどという話しは聞いたことがありません。

では、この福音書の箇所はどう受け取るべきでしょうか。それはきっと、愛するひとの死に嘆き悲しんでいる私たちに、イエスさまは共に寄り添い、そしてともに泣いて下さっている。そして、天に旅立ったひとたちには、

神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。(ヨハネの黙示録21章3節から4節 新共同訳聖書)

ことを、力強く宣言して下さっている、と捉えてもいいのかもしれません。

※ ※ ※

ひとは襲い来る病をはじめとした苦難と闘うことを余儀なくされる弱さを抱えて生きています。そして、家族や友人・知人の願いと祈りもむなしく死んでいかなければなりません。イエスさまはそんな私たちを憐れみ涙を流された。あるいは、イエス様が沈黙の内に十字架を受け入れられる暗示。そして、死んでのちに復活なさる預言を現実に見せるための選ばれた存在者。

総括するなら「死への完全な勝利」宣言に役割を与えられた特別な存在。それがラザロだったと言えるでしょうか。

そのためには、へたに性格や人格を与えないほうがよかった、と、福音記者は考えたのかもしれませんね。あくまでも、私、管理人の呟き程度の憶測なのですが。


 

◆マザー・テレサの苦悩、そして光
 「もし一粒の麦死なずば」 

福岡教区には「音声説教」という素晴らしいサイトがあります。このホームページにもリンクを張っていますが、毎週神父さま方が主日の説教を一日前倒しで解説して下さいます。

この扉に、毎週素敵な写真が使われていますが、最近、片柳弘史神父さまのお写真をよく拝見いたします。感性豊かで、カメラの腕も相当なものだね、などと、私と相方はよく話し合っています。

片柳神父さまのお顔は拝見したことがなく、生のお声もきいたことがありません。でも、かなり前のことですが、ある番組を聴いていて、とにかく驚いたことがありました。

その番組は「FEBC online」という超教派のキリスト教放送でした。タイトルは「マザー(マザー・テレサ)が見つめた闇、そして光」で、聞き手は吉崎恵子さんだったと思います。

マザー・テレサを知らないひとはいないと思いますが、Wikipediaを参照して少しばかりそのひととなりと業績を書いておきたいと思います。かなりはしょっていますので、もう少し詳しく知りたい方は、Wikipediaのリンクからお読み下さい。



マザー・テレサは、1910年8月26日、コソボ州・ユスキュプ(今の北マケドニア共和国・スコピエ)に生まれた。

18歳のとき、故郷のスコピエを離れ、アイルランドでロレト修道女会に入り、ダブリンで基礎教育を受け、修練女として1931年にインドのダージリンに赴いた。初誓願のときに選んだ修道名がテレサであった。この名前はリジューのテレーズから取られている。1937年に終生誓願を宣立し、以後シスター・テレサとよばれることになった。

彼女自身の言葉によると1946年の9月、年に一度の黙想を行うため、ダージリンに向かう汽車に乗っていた際に「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたという。

1948年、彼女は教皇ピウス12世から修道院外居住の特別許可を受け、カルカッタのスラム街で活動するようになった。まず始めたのはホームレスの子供たちを集めて街頭での無料授業を行うことであった。

※ ※ ※

「神の愛の宣教者会」は、1950年10月7日に教皇庁(ローマ教皇庁)によって認可を受け設立された。1965年2月1日には教皇庁立の修道会の認可を受けた。同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことであった。

テレサは修道会のリーダーとなり、以降「マザー」と呼ばれるようになった。

インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り受けたテレサは「死を待つ人々の家」というホスピスを開設した。以降、ホスピスや児童養護施設を開設していく。

活動の初期のころは、地元住民たちはホスピスに所属している者をキリスト教に改宗させようとしているという疑念を抱いていた。しかし、彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対してはその者の宗教で看取っていた(ヒンズー教徒にはガンジス川の水を口に含ませてやり、イスラム教徒にはクルアーンを読んで聞かせた)。

※ ※ ※

マザーはたくさんの賞を受賞しているが、 特筆すべきは、1979年のノーベル平和賞である。

テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと革製のサンダルという粗末な身なりで出席した。賞金はすべてカルカッタの貧しい人々のために使われることになった上、授賞式の場においては「私のための晩餐会は不要です。その費用はどうか貧しい人々のためにお使い下さい」とも要望した。

1997年9月5日、世界が見守る中、テレサはカルカッタのマザー・ハウスにて逝去した。満87歳であった。

テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4,000人を数え、123か国・610か所で活動を行っていた。活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校などである。



ざっくりと、そしてかなりはしょって引用しましたが、マザーの人生は壮絶極まりないものだった、筆舌に尽くしがたいものであったと思います。軽々には語れませんよね。

これだけの実績があるのですから、きっと万人に愛されたひとなのだろう、と想像しがちですが、そうでもなかったみたいです。アンチは激しい攻撃をしていましたし、現在でもそれはかわりません。

もっとも、これは人間の哀しいさがで、会社にも学校にも自治会のなかにも、どこにでも反対を叫ぶ人は存在します。愛し合い、支え合い、助け合い、祈りあう。それが信条であるはずの教会でさえ、信徒を分裂させてしまうような言動をするひとはいますしね。

そんなアンチなひとびとに負けるようなマザーでありませんでしたし、それだからこそ誰もなしえなかった業績を遺したのでしょう。死後、聖人にまで認定されました。

ただ、マザーの心の奥底がどうであったのか、それはただごとではない葛藤と苦しみ、闘いの連続であったようです。

ここからは、「片柳神父さま」のお言葉を参照して、「マザー」の光と闇を観ていきたいと思います。

 

 

マザーからあふれ出していたぬくもり、あの力はいったい何だったのか。

マザーが出会ったのは十字架に架けられたイエスであって、その口から「渇く」という言葉を聞いたようです。マザーはその言葉を「愛への渇き」と受け取ったんです。人類の愛への渇きだと。

※ ※ ※

マザー・テレサは、数年の間、明確にイエスとの現実的な交わりを経験していたようです。シモーヌ・ヴェイユがいう「見神・触神」体験。私たちが愛する恋人や夫や妻、子供たちとふれあう、話し、聴き、祈りあう。そんな体験をマザーはしていたのでしょう。

私はそんな神体験をしたことはありません。振り返ってみて、あれは確かにイエスさまのお声だった、かも知れない。という経験はあります。しかし、それは実に曖昧なもので、しかも一瞬です。

しかし、マザーの体験は違っていました。彼女はこう証言しています。

「アサンソウルでは、まるで主が私に自分を丸ごと下さったようでした。甘美で慰めに満ち、主と固く結ばれていた」のです、と。

しかし、この体験は永遠に続くものではありませんでした。

 


マザーが亡くなった後に手紙が発見されたんですが、それはマザーが、自分の中に神の愛がまったく感じられない、そういう霊的な闇があると。

たとえばこういう文があります。

「思いを天に向けようとする時、どうしようもない空虚さにぶつかります。天に向けようとした思いは鋭いナイフのように戻ってきて私の魂を傷つけるのです。愛は何ももたらしてはくれません。それはただの言葉のように響きます。」

祈っても少しも慰めが与えられない、神様の愛が感じられないという渇き。そのような闇をマザーは体験したということなんですね。

49年か50年頃から始まって、亡くなるまで続いたということです。

「私の心は苦しみで一杯です。愛が人をこれほどまでに苦しめるとは知りませんでした。この苦しみは、喪失ゆえの、憧れゆえの苦しみです。」

「私は何も持たないという喜びを持っています。神が存在するという実感さえありません。祈りも愛も信仰も何もありません。あるのはただ、神への憧れから生まれる絶え間ない痛みだけです。」

●●●

マザーを襲った絶望をたとえるならどうなるでしょう。

昨日まではっきり見えていた視力を突然なくして失明する。あるいは、手足が急に動かなくなる。寝たきりになる。そんな肉痛でもあるでしょうし、最愛のひとを突然に亡くしてしまう心痛でもあるでしょう。

もしかしたら、いえ、きっと、もっともっと深い疼みであり、苦しみだったかもしれません。

しかし、そんな中でも、マザーは光を見いだしていきます。きっかけになったのは、ドイツのノイマー神父さまによる黙想指導だったと言われています。自分のこころのうちを告白するなかで、マザーは、

「この11年間で私は初めて闇を愛することが出来るようになりました。なぜなら、今の私は、この闇が地上でイエスが味わった闇と痛みの小さな、ほんの小さな一部でしかないと信じているからです。」

「今、私は本当に深い喜びで満たされています。イエスはもはや苦しみを味わうことは出来ませんが、私の中で、全人類を救うその苦しみを味わいたいと望んでおられます。私は今までになく自分のすべてをイエスに差し出しています。そう、今までにないくらい私はイエスのなすがままです。」

と、告白するまでに変えられていきます。

マザーの闇から光への転換は神秘すぎてなかなか理解できない感覚です。どんなに深い傷でも時間が癒やしてくれる、解決してくれる、とよく言いますが、もちろん、そんな単純なことではないでしょう。


マザーがあれほどまで貧しい人、苦しんで助けを求める人に深く共感できるようになった、その理由が、マザー・テレサ自身の中に深い苦しみがあったということ。こういうふうにマザーは闇をさらに深めていくんですね。

「誰からも求められず、愛されず、気にかけられないまま路上に放置されている私の貧しい人たちの肉体的な状況は、私の霊的生活の、イエスへの愛の完全な映しです。」

結局、貧しい人たちが路上で放り出されて、孤独の中で人からも見捨てられて神からも見捨てられたと、そのような苦しみはイエスが十字架上で味わった苦しみであり、そしてまた私が今味わっている苦しみそのものだとマザーは感じられるようになっていったんですね。

だからイエスへの愛と、自分自身が感じている苦しみをこの人も感じているんだという深い共感ですね。それがマザーの愛を想像もつかないくらい大きな愛に育てていったということだと思いますね。

彼女が味わう苦しみが深ければ深いほど、周りの人たちへの共感も深くなっていったということですね。

マザーの生涯は、長い時間をかけて十字架にかけられて、その十字架からまた復活の栄光が輝き続けた、そういう生涯だったと思います。

 

 

あのマザー・テレサが・・・。絶句して、呆然と、そして気を取り直して年数を数えました。

「神の愛の宣教者会」が設立されたのが1950年です。その頃から、マザーはすでに暗闇のただ中にいたということでしょう。没年が1997年ですから、半世紀もの間、途絶えてしまったイエスさまのお声を探し求め、渇きにあえぎ、霊魂の痛みと闘っていたということなんですね。徐々に光がさしてきたと言っても、マザーは、生きながらえて殉教したと言えなくもありません。

ヨハネ12章24節にこう書かれています。

「それからはっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。

偉大な先人たちはみなこの御言葉の体現者ですけど、マザー・テレサほどこの御言葉に生きたひとはいないように思います。

そもそも論ですが、殴られ蹴られ、踏みつけられ、不治の病に冒され、路傍に捨て置かれ、その存在を無視された名前もない人々と、マザーのように支援する側の人々の間に、一体どれほどの差があるのでしょうか。

イエスさまは彼らそのものであり、その苦しみと渇きは似て非なるものではなく、全く同じ領域の中に実在している現実の現象である。その事実を理解できなければ、マザーの闇も光も???で終わってしまうことでしょう。

ならば、私たちはどうすればいいのでしょうか。

聖書を読むと、旧約聖書の信仰者たちも、新約聖書の12使徒やパウロも、神さまから、イエスさまから直接御言葉を頂いて前に進んでいます。

襲いくる苦難・困難も、頂いた御言葉を道しるべとして彼らは試練に打ち勝ち、使命を全うしていきます。

私たちはイエスさまのお声を聴いているでしょうか。

マザー・テレサは100年にひとりの、それくらいの逸材ですから、誰しもがマザーと同じような体験が出来るはずもありません。してみたいとは思いますが、私はその苦しみと闇に打ち勝てる自信は全くありません。

ふがいない私をお赦しください。そして、多少なりとも、マザーのように愛に溢れた信仰者たらしめ下さい。日々、そう祈るばかりです。


 ※ 吉崎恵子さんと片柳弘史神父さまの対談を録音し、文字起こしした内容を参考に致しました。現在、録音した音源は紛失したままになっており、文字起こしも正確だったかは定かではありません。ご容赦下さい。

 


2025年のクリスマスに


クリスマスですねぇ。

この管理人コラムの中の「Q&A余談」に、ある女子高生の集団から頓珍漢な質問を頂いて、思わず吹き出してしまった体験を書いたことがありました。

クリスマスに生まれたイエス・キリストって、運がいいひとですよね。

い、いゃあ・・・(^^ゞ。クリスマスにイエスさまがお生まれになったのではなく、イエスさまのお誕生日をお祝いするのがクリスマスなんです。

聖書にはイエスさまの正確な誕生日は書かれていません。そこで、古代ローマで祝われていたミトラ教の「光の祭り」と、農耕儀式「サートゥルナーリア祭」を一緒くたにして(どちらか一方かも知れませんが)キリスト教のお祝い日、クリスマスに転用したのが始まりとされています。

キリスト教に縁遠い日本人にとって、クリスマスの起源なんてどうでもいいのかも知れません。ケーキを食べる日であったり、恋人とホテルに行く日、なんて認識のひとたちも多いことでしょう。

それは間違いだ、とか、それはおかしい、などと言うつもりはありません。キリスト教を勉強し、イエスさまを信じて洗礼を受け、教会に通っても、お金持ちになれるわけではありませんし、病気が治るわけでもありませんしね。

それでも、私は、イエスさまを信じることで、少しだけまっとうな人間になれたような、そんな思いがあるんです。というか、それはまぎれもない確信として私の中で光り輝いています。

数あるクリスマスの中で、私にとっての一番の思い出は、とても寂しくて悲しくてせつなくて、そしてとてもあたたかいものでした。

その日、その時期、私は失業していました。お金も底をついてしまい、貯金もなくて、もちろん手持ちの現金もほとんどありませんでした。

そんなクリスマスに、親しい友人が遠方から遊びに来ました。お金がないのに見栄を張った私は、彼に精一杯のご馳走を振る舞いました。

彼が帰った後、私は教会のクリスマスに出掛けました。ためらいながら献金箱に全財産の数百円を入れました。教会の帰りにカップ麺でも買おうと思っていた、なけなしの硬貨数枚でした。

すっからかんになった私はアパートに帰り、炊飯器の底にわずかに残ったご飯を茶碗によそおい、おかずがないので塩を振りかけて食べました。

涙がポロポロと零れました。

こんなときは・・・。そう思い、机の上に置きっぱなしにしていたよれよれの初代(私用)の聖書を開きました。すると見たこともない、少し汚れた封筒がこぼれ落ちました。正面に「大切な友へ」と見慣れた筆跡が踊り、中には、古びた紙幣が数枚入っていたのです。

遠方から訪ねてくれた友は「失業している」と言っていました。それも、病のために。可哀想だと少しでも思った私の傲慢さが悲しくなりました。彼に食事を提供すれば、私の手持ちは尽きてしまい、今夜食事をすることもできない。どうしよう。そんな情けないためらいを、彼は見透かしていたのでしょう。憐れに思われていたのは私の方だったのです。

ともにイエス・キリストに導かれ支えられ、罪を赦された者同士でしたが、彼の方がずっとイエスさまを知っていたのです。

私はこんな詩を書きました。


   祈り


  星の輝きよりも
  闇の深さを教えて下さい
  理由(わけ)を探すわたしに
  ただ一途に愛することを教えて下さい
  言の葉と 喧噪の国の旅人に
  ここちよい眠りと
  希望の杖をお与え下さい
  くずおれたたましいを癒し
  疲れ 躓いた身をささえ
  朝の光をあびて
  またふたたび立ち上がる力をお与え下さい
  道の途上で迷う羊に
  まっすぐに前を向いて
  今日のひとひを歩ませて下さい


クリスマスは、罪穢れ、氷のように冷たい私たちのこころに灯りがともされる日。とてもあたたかなひとひ。救い主イエスさまがお生まれになった大切なたいせつなひと日。

皆さまのクリスマスが幸せな一日でありますように。

 


 ◆病む、というつれづれ。

今年も残りわずかになりました。この忙しい時期に、なんと鬼の霍乱でしょうか。入院することになりまして、手術を受けることになりまして、主治医の先生、麻酔科の先生方、看護師さんおひとりひとり、病院スタッフの皆さん、それぞれに大変お世話になりました。

一番心配してもらって世話を掛けたのはもちろん相方です。が、ここで「ふたりっていいですよぉ。幸せですよぉ」なんて書くと、独身の方々に申し訳ないので、相方への感謝は家の中だけにとどめておきます。

病気をすると改めて思うのですが、健康のなんとありがたいことでしょうか。イエス様とマリア様に守られて、また、教会の皆さんのお祈りをいただいて、私の日々が成り立っているのだなと改めて思い知らされました。

当然、入院前よりも体調は良くなったよね? ・・・どうでしょうか。今のところはまだまだです。これからまともになっていくのかどうか、それも分かりません。でも、なんとか頑張っていけたらと願っています。

全身麻酔の経験は過去にもあります。その経験から言うと、眠くなりますよ、と言われて、気がついたらもう手術が終わっていて、自分の部屋のベッドの上で意識がはっきりしてくる。その間には夢も見なかった、という状況だった。と、記憶しています。今回もそんな感じかなと思っていたのですが、違ったんです。

夢を見ていました。背景が全部緑濃い草原?。森林?。大きな木はありませんでしたので、たぶん草原でしょうかね。

その真ん中にベンチがあって、真っ白い人が座っていました。性別も年齢も分かりません。どういう表情なのかもはっきりしません。

ただ真っ白い人、みたいな形? が存在していて、そして、その存在の横に座って誰かが笑顔で話しをしているのです。その話しかけている人は私なのか、あるいは、別の誰か。定かではありませんが、要するにそんな夢? を見ておりました。

全身麻酔下で夢を見ていたという人の話はあまり聞いたことがありません。もしかしたら、自分の部屋に帰ってきてベッドの上で 見た夢を手術中に見た夢だと勘違いしたのかもしれませんね。

いやいや、その白いひとは天使で、笑顔で話をしていたのは絶対にあなただったと思うわよ、ですか?

だとしたら、あの場所は天国、ですか。素晴らしい処でしたけど、まだまだお呼びはかからないみたいですけどねぇ。というか、呼んで欲しくないですけどね(^^ゞ。

病院の食事は決しておいしいものではありません。当たり前の話ですけれども、限られた予算の中で、その人に合った最良のものを提供する。その努力には心から感謝をいたしました。

入院前のオリエンテーションで、主治医の先生が、「食べられないもの、アレルギーとかあるの?」とお尋ねになりました。
「甲殻類がだめです。エビやカニは食べられません」。とお答えしました。すると先生は「なんだ。人生損してるな。エビもカニも食べられないのか。それは残念だな」と仰るのです。

「え? ここの病院は、給食にエビとかカニが出るんですか?」
「んなわけねえだろ」と先生。
看護師さんやスタッフの皆さんと大笑いいたしました。

たしかに人生損してますよね。エビもカニも、それに生ガキも食べられませんので、ああ、もったいない話しだな、と思います。全ては神様が用意してくださったのに、アレルギー持ちにとってはなんとも残念な話しです。

いろんな人生の宿図を観る病院です。子供から高齢者まで、そして、緩和ケア病棟の、いわゆるホスピスの入院患者さんまで。病院ですから元気な人はいないわけですけど、皆さん本当に頑張っておられます。

毎朝の祈り、就寝前の祈りが「入院しておられる皆さん、また、通院して来られる患者さんたちおひとりおひとりが元気になって、笑顔で日常生活を送れますように」。そんな言葉に置き換わるのに多くの時間は必要ではありませんでした。

先日退院し、自宅には帰りました。それでも、まだまともなことはなにもできません。それでも、病院の規則から解放され、自由な時間が与えられ、そして少しでも祈りの時間が増えた。些細なことですが、それは大きな前進です。

これを読んでくださっている皆さん、年末に向かって忙しくなると思いますが、どうかお体を大切にお過ごしください。

今、病気を患っておられる皆さま。必ず元気になると信じて、イエス様の癒しを祈ってください。

また、私は五体満足で、病気や怪我など皆無だよ、とおっしゃる皆さまも、人生何があるか分かりません。災害はいつ襲ってくるかも分かりません。どうか今の元気な状況をイエス様に感謝してください。

皆さまの1日1日が幸せでありますように。


◆旅にでよう。

秋ですねぇ、と言っても、最近はずっと夏ばかりで、私の住む熊本・天草も連日30度を超える日々が続いています。秋冬野菜の種をどんなに蒔いてもさっぱり発芽しません。こんな10月ははじめてです。

それはそれとして、旅に出たい季節になりました。

私と相方はかつて、教会巡り100箇所の旅と題して、巡礼の旅を計画致しました。

凄い時間がかかったでしょ? ですか? いえいえ、すぐに終わりました。なにしろ、五島列島と奄美大島だけで70箇所くらいは回れますし、長崎県内、平戸あたりをぶらぶらするとあっという間に100箇所達成です。

残念ながら玄関に鍵がかかっている教会も結構ありましたので、全ての教会の中まで見学できたわけではありません。それでも、それぞれの教会に違った歴史があって、その歴史や風土に合わせて教会そのものもそれらしく成長していくような気がして、とても有意義な旅になりました。

いちばん印象に残っているのは、加計呂麻島の西阿室教会でした。

集落全員をカトリックに導いた、という言い伝えがあるマリアさまの像を一目みたいと思って出掛けました。12月の初め、肌寒い季節でした。

教会に着くと、ご高齢の信徒さんたちがクリスマスの飾り付けをなさっていました。

「マリアさまの像を拝見したいのですが」と言うと、信徒会長さんでしょうか、ひとりの男性信徒さんが「いいよ」とあっさりと承諾して下さり、箱にしまわれたマリアさまのご像の頭を鷲づかみにして「ほれ。これだ」と差し出して下さったのです。

「え? え? えぇ~! そんなぞんざいに扱って、勿体ないです」と言うと。
「いいのいいの。そんなんでマリアさまは怒ったりしないから」
「はぁ・・・。で、どうしてこのご像がそんなにも大切にされているのですか? 日本に4体しかないマリア観音像だとは知っているのですが」
「それはな、云々」

というやり取り? をしばしの間致しました。

どうして「?」マークかと言うと、現地の言葉が外国語並みに理解できなかったのです。そうだろうな?? 程度ですけど、まあ、なんとかお話の概略を整理しつつ、念願のお顔を拝見できました。

このマリアさまに興味がある方は、ネット記事に「西阿室教会のマリアさま」といったタイトルでいろいろな人が書いていますので、検索してお読みになって下さい。

クリスマスの飾り付けも終わって、皆さんはご馳走を広げてお昼タイムを楽しんでおられました。私と相方は皆さんにお礼を言って教会を出ようとしたのですが、皆さんに一斉に呼び止められました。

「折角だから一緒に食べて行きなさい」
「いいんですか? なにもお手伝いしていないのに?」
「いいんだよ。&'=*%!"#???」
「な、なに言ってるのか解らない(^^ゞ」

「どこから来たの?」
「熊本県の天草です」
「天草にはこの前みんなで行ったよ。海がとにかく綺麗だった」
「あ、いや、海だったらこの加計呂麻島の方がずっと綺麗ですよ」
「昔はな。でも、もう汚くなった。残念だけどな」

ということは、昔はどれだけ美しかったのだろう。しばし考え、天草の海は美しいと言ってもらえたことが嬉しくて、調子に乗ってさっぱり解らない現地の皆さんの宴に、私たちは堂々と混ぜてもらったのでありました。

「J('$(`=)KM_L'&#$%」
「あ、はい、ハハハ~(^^ゞ そうですね。うんうんー」

誰もいない教会堂を眺めて、薄暗いベンチに腰掛けて祈るのもいいですけど、旅の醍醐味はやはり現地のひとたちとのふれあいですよね。ごミサに与ることができれば一番いいのですが、なかなかそうもいきません。

帰宅して、お礼にと思い、天草のお菓子などを教会宛てにお送りしました。

今度神父さまが来られたときにみんなで頂きます、ほんとにありがとう。と丁寧なお手紙を頂きました。

あれから随分時が流れました。もしかしたら、あのときご馳走してくださった何人かのひとたちは、もうイエスさまとマリアさまとご一緒なさっているかもしれません。

聖書の物語に登場する主人公たちは、皆さんよく旅をしています。アブラハムも、モーセも、ルツも、トビト記のトビアも。イエスさまのご生涯も旅の連続でした。12使徒たちもパウロも旅人でした。

私たちも例外ではありません。

もし旅人の皆さんが私たちの元にお立ち寄りになったときは、あの西阿室教会の皆さんのように、私たちも精一杯もてなせる信仰者でありたい。そう願っています。

 

◆台風と蛇

日本に住んでいると、毎日どこかで災害が起きているように感じてしまいます。今の時期は特に台風ですね。雨だけを少しだけ下さい。はい、分かりました。というほど自然は生やさしいものではありません。

被害に遭われた皆さまにはお見舞い申し上げます。

我が家は海が目の前の高台にありますので、台風には散々な目に遭ってきました。二度屋根が飛ばされました。雨漏りがした床の下は、魚を養殖しても良さそうなほどの水が溜まりました。

スチール製雨戸の戸袋はねじ切れてどこかへ飛んで行き、今もって行方不明です。

泣いたことも、何度もありました。でも、その度に立ち上がって、笑いに替えてきました。

 

ある台風が一晩中荒れ狂いました。しかし、それまでのような甚大な被害がなくてホッと胸をなで下ろし、明るくなった外を眺めました。雨はまだ降り続いています。

「え?」と相方が力のない声を上げました。「ね、ねぇ、あの花壇の中にいるの、なにぃ?」

望遠鏡を取り出しまじまじと注視すると、そこには色鮮やかな、そしてとてもグロテスクな蛇がとぐろを巻いてこちらを睨んでいるのです。真っ黒い身体に深紅と黄色のわっかがあり、頭は菱形です。

「マムシ?・・・ヤマカガシ・・・じゃないよね。あんなの、絶対に日本にいるわけないよ」と相方。
「熱帯地方から台風に飛ばされて運ばれたとか」と私。
「ま、まさか・・・」
「警察?」
「消防署じゃないの? ヤバいよ、絶対」
「あ、そうだ。熊本の動物園に電話して訊いてみようよ」

バカな私たちはなんども動物園の番号を押したのでありました。しかし、台風のせいか、全く通じません。

「朝早いせいかな」
「当直の人はいるはずだよ」
「そ、そうだよね」

しかし、お昼近くになっても電話は通じませんでした。その間、蛇は微動だにせず、同じ場所にとどまりこちらを睨みつけています。

雨が小降りになり、近所に住むおじいさんがやってきました。

「被害はなかったかぁ」とおじいさん。
「なかったんだけど、あれが・・・」

私が花壇の中の蛇を指さすと、

「ほぉ、これは珍しい」

おじいさんは、花壇までツカツカと歩いて行き、蛇に手を差し伸べました。

「危ないよ! 猛毒だよきっと。噛まれたら死んじゃうよ!」

相方が叫んでもおじいさんはひるむこともなく、そのまま手を伸ばして、蛇を鷲づかみにしたのです。

「ヒェェェェェェ~!」

私と相方は叫びました。でも、おじいさんは蛇をブラブラさせながらニコニコしています。

「これ、貰っていいか?」
「貰うって・・・それ、生きて・・・え? はぁ?」

なんと、そいつは精巧に造られた偽物だったのです。

 

 

すっかり忘れていました。追い払っても追い払っても軒先に雀が巣をかけるんです。そのせいで雨樋が詰まって、雨量が多いときはドバドバと玄関先に水が落ちてくる始末。

雀を寄せ付けない方法はないか・・・。

思いついたのが、蛇を軒先に出動させることでした。でも、さすがに本物は無理ですから、できるだけ本物に近い偽物を探しました。

どこで見つけたのか、よく思い出せないんですが、百円ショップ、か、おもちゃ屋さん?・・・とにかく、いいのが手に入ったと喜び勇んで軒先に設置したのでありますよ。

お陰で雀は来なくなりました。そして、私たちは蛇のことを脳みその片隅に、海馬のはるか彼方に放り投げてしまったのでありました。

その蛇を貰っていったおじいさんは、喜び勇んで自宅の玄関にぶら下げました。こうしておけば金銀財宝が外からやってくる、というのがおじいさんの持論でした。

そうとは知らないおばあさん。玄関を開けて外に出ようとして顔に冷たい感触があって、見上げるとそこにグロテスクな蛇。腰を抜かしたおばあさんは数日寝込んでしまいました。

子供や孫や親戚からも散々怒られたおじいさんは、私の家に蛇を返しに来ました。トボトボと帰って行く後ろ姿を見ながら申し訳なくも笑ってしまったのですが、元はと言えば私たちがアホだったわけで、おじいさんや寝込んでしまったおばあさんには申し訳ないことをしてしまった、と、ふたりで重々反省致しました。

 

 

モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

これは民数記21章9節の記述です。イスラエルの民のつぶやきがあまりにも酷すぎたので、神さまは頭にきて、毒蛇を送って民を襲撃させます。噛まれた人々は苦しみ、七転八倒して死んでいきました。

そうしてやっと民は悔い改めるのです。イスラエルの民も懲りない面々ですよ。このかたくなな民は、私たち自身のひな形でもあります。ただ、現代の厄災は神さまから来たものではありません。そこのところは勘違いしないで下さいね。

この蛇は、ヨハネの福音書3章14節から聖書の最重要な箇所として登場します。

そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

忌み嫌われた蛇が、なぜ救い主イエスと同じゲマトリアなのか。そこがヘブライ文学の神秘で、聖書の不思議なところです。

呪いすら救いへと誘う神の啓示、と表現されたりもします。

ちなみに、ゲマトリアとは、ヘブライ文字に数値を割り当て、単語や文を数値として扱う手法で、カバラなどの神秘主義思想で用いられ、数の象徴的な意味を探求したり、聖書の隠された意味を解釈するために使われる、と言う意味があるそうです。

 

姑息にも、蛇を利用した私たち。そのことをすっかり忘れていた脳(能)天気な私たち。電話が動物園に繋がっていたらと思うと、冷や汗が出てきますが、こうして日常の経験から聖書のエピソードを思い出し、そしてイエスさまの救い、贖いへと、さらには愛されている確信へと導かれる。

私たちキリスト者はなんと幸いな存在なのでしょうか。

 

◆友へ


私にはともだちなんかいません
まして 私の存在を喜んでくれるひとなんて

あなたはわたしにそういいました
わたしは一晩泣きながら
そのことばをじっと抱きしめました

神さま
存在を喜ばれないひとを
どうしておつくりになったのです!

そのとき かすかな声が聞こえてきました

健やかなときも
病めるときも
死にいくときも
すべてのものがささやいている
輝いている
香りを放っている
在るものをあらしめている

あなたのために
いてくれてありがとうと伝えるひとがいる
わたしのために
いてくれてありがとうとほほ笑む存在がある

なにも持たない
なにも誇れない
なにも飾れない

それでも いてくれてありがとう
そう祈る声がある

友へ 

わたしのこころを届けたい

声なき声はそう語っていました

大切な 友へ
いてくれてありがとう
それは傷だらけになった
止めどない血と涙をしたたらせる十字架のうえから
あなたへ そしてわたしのために流れくる
父への嘆願
あたたかな祈りでした

あなたは決して独りではない と



私が教会から離れ、もう死ぬまでどこの教会にも属さない。そう決めていたとき、あるプロテスタントの、それも一面識も無い牧師さんから、毎日、毎朝「いてくれてありがとう」というメールが届くようになりました。

驚きましたし、嬉しかったです。鬱陶しいな、と思ったこともありました。

私たちのイエスさまへの感情も、驚きであり、うれしさと感謝であり、ときには鬱陶しさでもありますよね。

鬱陶しいとは何事だ! と、怒られるかもしれませんが、この不敬については、彼の地に行けたときに充分に謝ろうと思っています。

「私にはともだちなんかいません
まして 私の存在を喜んでくれるひとなんて」

そう私に訴えた友(そう思っていたのは私だけだつたようですが)がいました。

あなたに対して、あの牧師さんのように、毎朝「いてくれてありがとう」と言えていない私がいます。許して下さい。

たしかに世の中は不条理です。いえ、納得できることはなにもない。それがあなたの感じている世界かもしれません。

それでも私は伝えたいのです。イエスさまの招きを。そう思って書いたのが、「友へ」です。

ここに公開したのは、私の友ばかりではなく、不特定多数のひと、すべてのひとに語りたかったのです。

イエスさまが導いて下さいますようにと祈りながら。 

 

 ◆こんなところに神さまが。

ある日、私は病院に行くために熊本駅から市電に乗車しました。

長い乗客の列の頭近くに並んでいた私は、なんとか座ることが出来たのですが、車内はあっという間に満席になり、通路には立っているひとたちが増えてきました。

私の斜め前に、背の低い、高齢だとおぼしきご婦人が杖をついて立っています。腰は曲がりかけています。こころなしか呼吸も速く感じました。

周囲の、座っている乗客たちは若い人が多く、皆さん健康そうでした。でも、ほとんどの人がスマホ画面とにらめっこをしていて、この老婦人を気に掛けてくれるようなひとはいませんでした。

私は立ち上がって、この方に声を掛け、席を譲りました。

ありがとうございます。助かりました、と頭を下げ、ご婦人は席にお座りになりました。それから立っている私を見上げると、「えぇぇ~っ!」と声を上げ、再び立ち上がったのです。

「どうしたのですか?」と尋ねると、「あなたも杖をついているじゃないですか。杖をついているひとの席を取り上げるなんて私にはできません。どうか座ってください」。と仰るのです。

「いえ、私はまだ若いですから大丈夫です」

とは言ったものの、実際の私の膝は悲鳴を上げていました。

とても珍しい病気になって両膝を手術して以来、私は杖が手放せなくなりました。加えて、膝以外にも杖を必要とする病気を複数持っていて、正直な話し、揺れる電車の中で立っているという行為は苦行そのものでした。

だったらタクシーを使えよ、という声も聞こえてきそうですが、一庶民でしかない私は、タクシー代の十分の一で済む電車を使わなければお昼ご飯が食べられなくなってしまうのです。

老婦人と、どちらが座るかで何度かやり取りをしたのですが、その間にスマホから目を上げたひとは皆無でした。そのひとたちを責めている訳ではありません。元気そうな若者でも心底疲れ切っているひとたちもいるでしょうし、目に見えない病を抱えているひともいるでしょう。

しばらくして、電車の後方からツカツカと、颯爽と歩いてくる三十台後半くらいの女性がいました。米倉涼子? 天海祐希? と思えるような素敵な女性でした。

その彼女が私の腕を掴んで言うのです。「あなた、こっちに来なさい」。

まるで、女性刑事さんに連行される犯人みたいになった私は、なにがなんだか解らずパニックになって声もでませんでした。

そんな私にお構いなく、彼女は私を引きずって電車の中程まで行き、そして言ったのです。

「あなた、ここに座りなさい。友人に確保して貰っていた私の席だから、遠慮しないで」。

「あ、え? でも、え? どうして・・・」

「杖をついたひとを立たせるなんて、とんでもない話しよ。それに、あなたは杖をついていながらあのおばあちゃんに席を譲った。立派だったわよ」

「はぁ・・・」

「あなたを立たせて私が座っているなんて、女がすたるってもんでしょうが」。

テレビドラマや映画だったら、ここで拍手喝采となるのでしょうけど、残念ながらそうはなりませんでした。

でも、私のなかでは拍手拍手拍手! とにかくかっこいい、素敵な女性でした。

いゃあ、世の中捨てたもんじゃない、というか、こんなところに神さまがいらした、なんて思ってしまった一日でした。

 

◆朝

天に隙間なくかがり火が焚かれるとき
夜は頭を垂れ しずかに闇の幕を引く
地はにぎやかに上気してくる光で充ち満ち
また新たな創造が始まろうとしている

飛び立とうとする飛行機
港を出ようとする船
ホームを離れようとする列車
駐車場を滑り出る車
みな朝が似つかわしいのはなぜ

床をあげ 膝を折り 
腰を伸ばし
天に向け 両手を差し上げ
昨日の落日などとうに忘れて
上でも下でもない 一歩前へと歩きだす
それがひとに与えられた 
さいわい
朝という名の希望 
そして 恵み

わたしの口はいう
イエスさま ありがとうございます と

 

 

我が家の愛犬が、動物病院の主治医に複雑骨折の完治を告げられたその日に、同じ前足を再骨折しました。

「教会に熱心に通っても、なんの意味もないってことだね。犬が可哀想だ」。

無神論者の親戚に言われました。

ほとんどの日本人にとって、宗教を信じること=現世御利益を得ることなのでしょう。

「家内安全、商売繁盛。病気や怪我の平癒。幸せの具現化を願ってなにが悪い」と、そのひとは言うのです。

悪くはありません。私たちキリスト教徒もみな、「家内安全、商売繁盛。病気や怪我の平癒」を願っています。

でも、私たちが教会に通ってミサに与り、御利益を得る。それは、結果論でしか判断されない、順番としては、ずっと後回しにしてもかまわない項目だと思っています。そうでなくても、御利益を得ることは決して1番目の目的ではありません。

私たちは、この罪に汚れた私たちを贖い救うために十字架にまで架かられたイエスさまに感謝し、イエスさまを礼拝するために、教会に集まり、ミサに与るのです。

人間も犬も、さまざまな苦しみを抱えて生きています。そんな人生の中で、私たち人間だけに与えられた事実は、「朝が来る」という確信、希望をいただく信仰を持つことができる、その恵みによっています。

「朝が必ず来るなんて、本当に信じてるの? おめでたいひとだな。聖書読んだことないの? ルカによる福音書 12章19節から20節」 と、また誰かが吐き捨てました。

たしかにこう書いてありますね。

こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」、と。しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」(新共同訳聖書)

うぅ~ん、聖書の言葉を読み間違えると哀しいですねぇ。信仰者のための御言葉は、たとえば以下の箇所でしょう。

主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
あなたの真実はそれほど深い。
哀歌3章22節・23節(新共同訳聖書)  

再骨折した我が家の愛犬以上にショッキングなことを、私は言われたことがあります。俗に言う「余命宣告?」です。

でも、私は冒頭の詩を書きました。哀歌3章の御言葉を信じて。

 

◆神に出会うとき

傲慢不遜で他人を見下し、それでいて死ぬことばかりを考えていた私は、ある日のミサに出席し、はじめから終わりまでポロポロと涙を流していたことがありました。とても不思議な感覚でした。

イエス・キリストに出会った、と確信を持って言えるわけではありませんが、何度か同じような経験をして、私は、「こんな私でも赦されている。生きていていいのかもしれない」と思うようになりました。多少なりとも「ましな人間」になれたような気がしますし、ほんの少しだけ、自分にも、他人にも優しくなれたかも知れないと思うのです。

もちろん、それ以降の日々も「汚れた自我との闘い」に違いはありませんが。

フランスの哲学者で思想家のシモーヌ・ヴェイユも似たような体験を語っています。
サンタ・マリア・デリ・アンジェリの12世紀ロマネスク風の小礼拝堂にヴェイユは佇んでいました。そこは、聖フランシスコがしばしば祈りを捧げたところでした。

このとき、目に見えない誰かが、何かが、彼女の頭を押さえつけて脆かせました。 ひとが頭を垂れるときは、どうあがいても己の力の及ばない存在を知ったときです。それが人間以外の存在であればなおさら、ひとは悔い砕かれたたましいを以て謙虚にならざるをえないでしょう。心からの謙遜は、ひとに創造的な孤独をもたらします。そして、ひとに希望を待ち望む忍耐と注意力を身につけさせてくれます。

こうしてヴェイユは、「神はこのような人間にさえもご自身を拒否したもうことはない」という、霊とたましいのひとに変えられていくことになりました。

主よ、あなたのために、主の家族のために、見知らぬ誰かのために、私自身のために、与えられた日々と時間を謙虚に、そして希望を持って、もう少しだけ生かしてください。 ヴェイユのように。そう祈る日々を、私はいま過ごしています。



◆芽吹き ― 永遠のときを超えて


本を捨てた
爪を揃えた
髪を切った
日記を焼いた
遺書を書いた

ボストンバッグにありったけの日々を詰めた
雨のように頬に降る雫と一緒に君は母も入れた
父も祖父母も詰め込んで
君はぼくと電車に乗った

 今日は暖かいね
 ……
 春だものね
  ……
 寒い日もあるかもね
  ……
 桜もそろそろ咲くんだよね
  ……
 学校 春休みかしら
  ……
 海 凪の日が多くなるね
  ……

黙り込む君の傍らを鳩が飛ぶ
抜け落ちた羽の先ほどの重ささえもない風が
君の髪を揺らす

 ちゃんと帰るから

ふいに それでも
しっかりと聞こえた君の言葉の枝先には
再創造された君自身が芽吹いていた
 
イエスが並んでくださったときのように
ぼくは微笑んで頷き 君と肩を並べ
病院内の礼拝堂で頭(こうべ)を垂れた
君とぼくの確信
変わらない永遠の時間(とき)を信じて



私の最愛の相方(パートナー)が、原因不明の、助からないかもしれないという病で、福岡県久留米市の聖マリア病院を受診したとき、私が書いた詩です。

まだ、ふたりともプロテスタントの信徒でした。カトリックの教会で祈ることなど考えてもいませんでしたが、私たちはたしかにイエスさまに導かれていました。

このひとがいなくなる。そんな漠とした悲しみが私の精神を支配していました。それでも、イエスさまは、生も死も関係なく、永遠のなかで私たち自身と並んで歩いて下さる。そんな啓示を二人同時に頂いていました。

ヘンリー・ヴァン・ダイクの「For Katrina's Sundial カトリーナの日時計のために」が浮かびました。

  Time is
  Too slow for those who Wait,
  Too swift for those who Fear,
  Too long for those who Grieve,
  Too short for those who Rejoice,
  But for those who Love,
  Time is Eternity.

  時間、それは
  待っているひとには遅すぎて
  恐れているひとにはあまりにも早くやってくる
  悲しんでいるひとには長すぎて
  喜んでいるひとには短かすぎる
  でも、永遠を提供する時間がある
  愛するひとのために

最後の二行は私の意訳です。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネの福音書3章16節 新共同訳聖書

2000年経っても、いえ、永遠に変わらない神さまの愛を再確認した一日でした。

※パートナーは死に至ることなく、現在も元気に暮らしています。

 


◆遠い空へ


心を病み 身体を病み わたしは病院の売店前のベンチに腰掛け ひがないちにち 暇ぐらしをしている

肌着や弁当を買い求めるひとがいる 洗面器やティッシュを小脇に抱えドリンク剤を飲みながら ため息をつくひとがいる

そのうちに わたしの父よりも齢(よわい)を重ねていそうな紳士が 薔薇の花を数本買い求め 深々とお辞儀をして出て行った 彼はわたしの斜め前でふと立ち止まり しばらく花をみつめ そして ハンカチで目頭をそっと拭いた きっと彼の妻か娘でも入院しているのだろう もしかしたら不治の病かもしれない

六万年前の六月の初め シャニダールの丘にはタチアオイの花が咲き乱れ あたたかな光が 後にネアンデルタールと呼ばれるひとたちをやさしく包んでいた だが 時の河は何のためらいもなく ひとのいのちを押し流す

鳥の声が一段とさえ渡る朝 ひとりの娘のたましいは この地上を一瞬にして駆け抜けた 谷を埋め 丘を渡り 天を裂く嗚咽は 快晴の空にいつまでも赤い傷跡をとどめていた

彼女の亡骸にかけられた たくさんのタチアオイの花 花は娘の生を語り 死を聖め 生きとし生けるものの疼みを慰めようと 懸命に咲き 香りを放つ

わたしは六万年前の彼女の遺骨が たくさんの花粉に囲まれていたという美しい記事を思い出しながら あの薔薇の花を求めた紳士のことを想う 所詮 わたしの勝手な思い込みに違いない けれどひとは 時に花の立ち居や香りに神の姿を見て 与えられた刹那という名の時を確かに紡いできたのだ

六万年前に育まれたこころも そのこころを砕く別離も 今日の日のわたしの病も そしてあの紳士の涙も 花は神の目でじっと見続け 咲き続けている


 

この詩を書いたとき、いくつかの質問を頂きました。

キリスト教徒でも心身の病気になるのですか?

もちろんです。キリスト教徒といえどロボットではありません。生身の人間ですから。浄土宗開祖の法然上人が「浄土宗略抄」(間違っていたらすみません)の中で言っておられますね。「どんなに信仰しても、お経を唱えても、人間なのだから怪我もすれば病気もする。死にもする」と。

イエスさまも、ゲッセマネの園で仰いました。「霊は燃えていても肉は弱い」と。生身の人間はそれほどもろく弱く儚い存在である。と、まず自覚すること。それが神さまに近づく第一歩だと私は思っています。

シャニダールの人骨はネアンデルタール人のものに間違いありません。が、たくさんの花に囲まれていたことが、葬儀のありようと愛情表現を示唆する証拠である、とする説には無理があります。それに、かの人骨は男性だったと思うのですが。

はい。この人骨は確かに男性です。女性だったというのは、あくまでも私の文学としての創作です。また、人骨がたくさんの花粉に囲まれていたのは事実ですが、それはスナネズミなどの小動物によるものであって、死者を花で送る、という行為は実際にはなかった。という説も有力視されています。ただ、どちらが正しいかという結論は、いまだにでていません。

創世記1章の創造物語とネアンデルタール人の存在は矛盾していますが、どうお考えですか?

聖書の言葉を一字一句現実であり、歴史的にも事実である。と信じるひとびとには矛盾するでしょう。また、創世記を霊的な意味での人間対神のありようを表現した象徴文学、と捉えているひとたちには矛盾はしません。ネアンデルタール人もアダムとイブの子供。そう信じることも、また信仰です。

想像力を働かせて詩や小説を楽しむことは、罪なのでしょうか。そんな時代に導いてしまったのは誰なのでしょう。遠い空に思いをはせるように、もっと自由にイエスさまに問いかけましょう。そして信じましょう。神さまの愛を。神に似せて創られたのは残酷な人間の肉塊ではなく、他者を思いやるあたたかなふたつのたましいなのだと。

 


◆お手をどうぞ


とろけてしまいそうに柔らかく 真っ白な雪の色をして それなのに おひさまのようにあたたかい あなたのその右の手のひら

あかぎれで がさがさしたわたしの手を取って あかるい方へと歩きだす さあ こっちよ ここに石ころがあるわ あ、そっちはとんぼがお休みしてるから そっと通り過ぎましょ 大丈夫 私がついてるから きっと大丈夫 まかせておいて もうすぐ大きな道に出るからね

少女は歌うようにわたしの手を引いている その瞳に映っているものにはきっと 美も醜も 善も悪もないのだろう

お手をどうぞ 彼女はいまもそう言って ほほ笑んでいるだろうか 彼女を取り巻く大人たちは ぶっそうな時代だから その声も手も もう引っ込めて 見て見ぬふりをして 黙って急いで通り過ぎなさい そう教えていないだろうか

ひとつの街が破壊されました 劫火に焼かれています 遺体が無数に転がっています また核爆弾が使われそうです

………

変わってしまった街並みが遠くなるように お手をどうぞ そう言ってくれたあの神の声が もう世界のどこにもない 言葉は鋭い刃物に姿を変え わたしの胸に突き刺さったまま バスは走り続けている

降車ボタンを押す ゆっくりとバスが停まる 降りようとして立ち上がったとき 不意にめまいに襲われたわたしに 年若い運転手が言った

お手をどうぞ

失ったはずの現実の在りかをみつけた わたしはそんな気がして 見えなくなるまでバスの行方を見守った 変わらないで そう祈りながら


 

この詩は、ずっと昔に書いた「お手をどうぞ」という私の作品です。

全盲の友人宅を訪問した折、彼の小学一年生の娘さんに言われた言葉でした。「お手をどうぞ」と。

驚きました。いままでそんな言葉をかけて貰ったことなど、一度もなかったのです。

彼らは遠くの街へ引っ越して行き、携帯電話も無かった時代ですから、固定電話で頻繁にやり取りをすることもはばかられ、次第に疎遠になり、音信不通になりました。

久しぶりに乗ったバスで再び聞いた「お手をどうぞ」。胸が熱くなりました。友人家族は教会に通っていた訳ではありませんし、あの運転手さんがどんな神さまを信じていたのか、知るよしもありません。ですが、彼らの背後に、イエスさまの微笑みを確かに観たような気が致しました。



◆雪の日に

南国天草にも雪が降りました。積もるほどではないにしろ、雪は罪・汚れを覆い隠してくれるようで、とても神聖な気分になりますよね。北海道の友人に言うと「甘い!」と一喝されました。

ある宣教師がアフリカの熱帯地域の村に布教にでかけました。彼は一生懸命にイザヤ書1章18節を説明するのですが、村人たちには全く通じません。

たとえ、あなたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。
たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。イザヤ書1章18節。

彼らには「雪」が理解できなかったのです。

宣教師は困惑しました。雪に代わる「真っ白い」ものはないか・・・。何日も何ヶ月もかけて探した彼はついに発見しました。真っ白いそれを。

村人のひとりが半分に割ったココナッツの実。その切り口を観てひらめいたのです。「これだ!」と。それ以来、宣教師は「たとえ、あなたの罪が緋のように赤くても、ココナッツの中の、あの色のように白くなる」と話し続けたそうです。

ネット社会になって、ひとは、伝えなければならないことを言わなくなり(書かなくなり)、言わなくてもいいことを言って(書いて)しまうようになりました。そのせいで、大切な友人を失った。大事な取引先から縁を切られてしまった。そんな経験をしたことはないでしょうか。

どうすれば私たちの思いが、願いが相手に伝わるのでしょうか。あの宣教師のように、私たちも何日も、場合によったら何ヶ月も悩んで探して、祈って、最上の言葉を見いださなければなりません。たかがココナッツ、されどココナッツです。

そうして相手と対峙し、信頼関係を構築していくのです。それが私たちキリスト者の務めなのですから。

と、偉そうなことを書いている私ですが、私はいまでも後悔していることがあります。大切な友人(ひとりは他界し、ひとりは行方不明です)に対して、あのとき「あんなことを言わなければよかった」。また、「本当の思いを正直に、素直になって伝えれば良かった」と。

イエスさま。浅はかな私を助けて下さい!

祈りに呼応するように、天からの雪は降り続いています。



◆Q&A余談


 
「はじめての方へ」のページにQ&Aを掲載しておりますが、このページに載せていない内容で、たまに質問される項目があります。

ばかばかしかったり(すみません)、可笑しかったり、そんなん聞くんかい! というものまでありますので、少しばかりご紹介いたします。

Q.天草は長崎県ですよね。

学生時代、恩師の教授に言われたときはひっくり返りましたけど、ある手術のために入院した大学病院の同部屋のひとたちにも言われました。

「天草は熊本県なんだ。へぇえ~! 熊本は熊が出るから熊本なんだろ? そんな県より、お洒落な長崎県に入った方が絶対にいいと思うぞ」。

天草って、そんなに知名度低いですか? それに、熊本には(九州には)熊はいませんから。動物園以外には。

Q.クリスマスに生まれたイエス・キリストって、運がいいひとですよね。

い、いゃあ・・・(^^ゞ クリスマスにイエスさまがお生まれになったのではなく、イエスさまのお誕生日をお祝いするのがクリスマスなんです。

聖書にはイエスさまの正確な誕生日は書かれていません。そこで、古代ローマで祝われていたミトラ教の「光の祭り」と、農耕儀式「サートゥルナーリア祭」を一緒くたにして(どちらか一方かも知れませんが)キリスト教のお祝い日、クリスマスに転用したのが始まりとされています。

ミトラ教とサートゥルナーリア祭の説明については、字数の制約で省きます。

Q.宗教と信仰の違いはなんですか?

宗教は、信仰を体系化した組織や集団を指します。特定の神仏を礼拝し、そのための教義が存在し、指導者や教祖が一定の組織を束ねています。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・仏教などがあげられます。

信仰とは、特定の宗教団体に所属し(しない場合もあります)、神仏を拝し、教義や律法を遵守する生活行為を指します。あくまでも、個々人の意思です。これが洗脳によるものであれば、その宗教団体はカルトと呼ばれることになります。なお、異端とカルトは違いますので混同しないようにしてくださいね。

Q.マルコによる福音書9章2~8節には(マタイやルカにも記述がありますが)、イエスさまの変容が書かれています。モーセとエリヤが現れますが、ペテロたちはどうしてこの二人がモーセとエリヤだと分かったのですか? 名札を下げていたとか、自己紹介をしたとか書かれていませんが。

質問が、なぜ二人の名前が分かったのか、です。いままでこんな質問を受けたことがありませんでしたので、不謹慎ながら笑ってしまいました。確かに不思議ですよね。当時はYouTubeもFacebookもインスタもX(ツイッター)もありませんしね(笑)。

真面目にお応えしますが、この箇所で注目すべきなのは、モーセは律法の創始者、エリヤは預言者の代表です。彼らを差し置いて、雲の中から「これはわたしの愛する子、彼に聞け」と、天の父の声が聞こえてきます。つまり、律法よりも、過去の預言や預言者よりも、なにをさしおいても神の子イエスの言葉が、つまり福音の方が大切だよ、と言っているわけです。

イエスさまの十字架の死と復活による罪の贖い、そして救い。それは絶対に譲れない聖書の箇所です。が、誰もが「なんで?」と首をかしげる部分については、これが正しい解釈だ、いや、こちらが絶対に正解だ。といった無益な議論はしないことが肝要です。

虚心坦懐に、まずは「イエスさま、なにもわからない私をお導き下さい」。私はいつもそう祈ってから聖書を読むようにしています。それこそが神さまと交わす「Q&A」だと思うのですが、どうでしょうね。

 

◆結婚式

ある日、母と叔母はとある婚礼に招かれたのでありました。

ふたりは披露宴が佳境にさしかかった頃、化粧室に行くために連れ立って席を離れました。しばらくして戻ってみると、宴はさらに盛り上がっており、ほとんどの人が席を離れ、新郎新婦や旧知の人たちと入り乱れて大騒ぎをしています。

そんな光景を横目で見ながら、ご祝儀分は取り戻そうと、母と叔母は目の前の料理をたらふくおなかの中に収めて行くのでありました。

しばらくして、後ろから肩をたたくふたりのひと。 「あのぉ・・・そこは私たちの席なんですけどぉ・・・」 「えっ! えぇ~っ!、席、間違えたんだ。すみません。ごめんなさい」と席次表を確認する二人。そして新郎新婦と来賓たちの顔ぶれを見て・・・。

だ、誰ひとり知らない。なんで? 母と叔母は隣の、全く別の披露宴会場に紛れ込んで、他人の料理を、それもおなかいっぱいに食べていたのでありました。

ドジなんだからねぇ(笑)。バカだねぇ(爆笑)。と私はふたりのことを散々からかい、そして笑ったのでありました。

ほどなくして、とある知己から私にも披露宴の招待状が届きました。

当日、電車が遅れて、私が着いたときには招待客たちはすでに会場の中に入っておりました。 慌てて記帳し、席次表を貰い、会場に入りました。ところが、私の席には知らない人がすでに座っているのです。

「あのぉ・・・そこ、私の席なんですけどぉ・・・」

「はぁ? ここは私の席ですよ!」

「いや、だけど・・・」

周囲が静かになって、スタッフが数人飛んできて、私の席次表を確認し・・・「お客様の会場はふたつ隣になります」

「失礼しましたぁ!」 猛ダッシュで会場から脱出する私。会場は爆笑と拍手。 母と叔母を笑った報いか? うぅぅ、恥ずかしいよぉ。

自分の会場にたどり着き、席を見つけ、やっと座って一息ついて、周囲の同僚たちに事の子細を話すと「おまえはドジだからなぁ」と、また笑われました。

あの頃は、披露宴も盛大にやっていたんですねぇ。何事も質素に済ましてしまう現在とは隔世の感がありますよ。

聖書にも結婚式の話しが出てきます。

カナの婚礼は有名ですが、私が興味深い話しだな、と思うのは、マタイによる福音書22章1節~14節のたとえ話しです。

王様が王子のために婚礼の祝宴を催すのですが、招待したひとたちがああだこうだと理由をつけてことごとく欠席してしまいます。それどころか、案内に行った王様の使いたちを捕まえて暴行し、果ては殺してしまうという暴挙に出てしまいます。

怒った王様は軍隊を出動させ、無礼な振る舞いをした輩たちを一掃してしまうのです。

婚礼会場に空きができたために、王様はだれもかれも、通りを歩いているひとたちさえも、善人も悪人も全て宴に招き入れました。ところが、その中にひとりだけ礼服を着ていないひとが混じっていたのです。

王様は彼を見とがめ、会場の外に放り出してしまいました。

礼服は王様側から招待客に支給されるのが慣例で、招待されたひとたちはその服に着替えて宴に出席するのがしきたり、それが当時の文化でした。その服を拒否し、彼は汚れた服のまま強引に婚礼の席に着こうとした。それは単に礼儀知らずでは済まされない、重大な背信行為だったのです。

洗礼を受け、教会に通っている私は、少なくとも招待を拒否して一掃されたグループには入っていない。でも、果たして、礼服を着ないで婚礼会場に入り、王様の不興を買ってしまったあのひとではない、と言い切れるのでしょうか・・・

婚礼の会場は天の御国であり、王子はイエスさま、王様は天の父なる神さまの比喩。それは誰もが理解しています。ならば、この礼服って、何を意味するのでしょうね。

多分ですけど、それはきっと、神さまを敬い、へりくだって、救いに導いて下さったことをこころから感謝する素直なこころのこと、かもしれませんね。

私たちは天の御国に招かれた招待客、これはもう、ほんとに奇跡としか言い様がありません。罪に汚れたこんな私でさえ招かれたのですから、うだうだ言ってないで与えられた義の衣を喜んで頂戴致しましょう。そして、笑顔で礼服を羽織り、楽しんで祝宴に与りましょう。 でも、私の母や私のように、くれぐれも別の会場に迷い込まないように気をつけて下さいね。

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