カトリック本渡教会のホームページをご訪問くださり、ありがとうございます。
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【ご支援のお願い】
2026年7月28日火曜日に熊本地震が発災しました。天草三教会(本渡・大江・崎津)は目立った被害はありませんでした。また、信徒さんたちも無事でした。ただ、上天草市の信徒さんたちは断水の苦しみと闘っています(完全断水の地域に比べれば多少は解消しています)。
熊本地区の教会では八代教会が特に酷く被災しました。
各教会で募金などを始めています。また、福岡教区では、アベイヤ司教さまが先頭に立って被災者のためにご尽力下さっています。内容につきましては、熊本地震特設サイトをご覧下さい。
このサイトをご訪問下さった皆さま、何卒お祈りください。被災なさった方々が、一日も早く立ち上がれますように。希望と勇気が与えられますように。現実的なすべが与えられますように。
具体的な支援方法につきましては、各教会の主任司祭にお尋ねください。
宜しくお願い致します。
更新履歴
2026年8月30日
本渡・大江・崎津各教会予定他
本渡・大江・崎津各教会今月の聖書
管理人の呟き
2026年8月23日
井手公平主任司祭コラム
本渡教会の動き
トップページ画像
イザヤ書40章31節は、こう続きます。
「走っても弱ることなく、歩いても疲れない」。
ほんとうに、主に望みをおく人は新たな力を得ることが
できるのでしょうか。
鷲のように翼を張って上ることができるのでしょうか。
走っても弱ることなく、歩いても疲れないのでしょうか。
よく言えば「信仰」。悪く言えば「開き直り」です。
そう言う私に、あるプロテスタントの牧師さんが仰いました。
「開き直りの信仰も素晴らしいですよ」と。
歳のせいかなぁ、という呟きは、改めて生きましょう。
■カトリック本渡教会
〒863-0015 熊本県天草市
大浜町3-28
電話 0969-22-2758。
ベスト電器天草本渡店さんの駐車場真向かい
ドラッグストア・モリさんの真裏が教会です。

◆主日ミサ
毎週日曜日 午前10時から
ミサには、聖書も聖歌も持参する必要はありません。
聖書は朗読者の声に耳を傾けて下さい。
聖歌はベンチの棚に置いてあります。
ちなみに、新しいミサ曲は「A」バージョンを歌っています。
はじめての方もご自由にミサに与って下さい。現在、日本国籍以外の方々も主日ミサには与っておられます。
近くの信徒に「はじめてです」とお伝え下されば、ご案内いたします。
毎週、聖体拝領のときにベトナムの女性信徒さんたちがベトナム語の聖歌を歌ってくださいます。
献金の強要などはありません。ご安心下さい。
分からないことがありましたら「はじめての方へ」のページをご覧下さい。
◆平日ミサ
変更になる場合があります。事前にお問い合わせ下さい
■今後のミサ予定
○9月01日火曜日 朝7時から
○9月02日水曜日 朝7時から
○9月03日木曜日 朝7時から
入門講座 午後4時30分から
○9月04日金曜日 朝7時から
○9月06日日曜日 年間第23主日 朝10時から
○9月08日火曜日 朝7時から
○9月09日水曜日 朝7時から
○9月10日木曜日 朝7時から
○9月11日金曜日 朝7時から
○9月13日日曜日 年間第24主日 朝10時から
■井手神父さま動向(島外)
○9月07日月曜日 午後11 時 熊本地区司祭集会 手取教会
◆本渡教会委員会
○9月06日日曜日 ミサの後
◆全ての命を守る月間(9月1日~10月4日)
この間、「福岡教区百周年のための祈り」を「すべての命を守るキリスト者の祈り」に変更致します。
◆信仰宣言の変更
「使徒信条」から「ニケア・コンスタンチノープル信条」に変更致します。
ニケア・コンスタンチノープル信条
わたしは信じます。唯一の神、
全能の父、天と地、
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。
主は神のひとり子、
すべてに先立って父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
すべては主によって造られました。
主は、わたしたち人類のため、
わたしたちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、
人となられました。
ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られ、
聖書にあるとおり三日目に復活し、
天に昇り、父の右の座に着いておられます。
主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。
わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。
アーメン。
◆今、生かされていることの不思議
8/22土曜日の朝食時、各放送局のTV番組が面白くないので、インターネットで、BS11の『偉人・敗北からの教訓』見逃し配信を視聴。レポートされていたのは、戦国時代前期、中国地方で一大勢力を誇った“尼子義久”。祖父の代から台頭して勢力を拡大するも、義久の代になり、毛利元就によって尼子氏は滅ぼされる。
日本の歴史も掘り起こせば、いろんな人がいて、いろんなドラマがあるもんだなと思った。尼子義久なんて、この放送を見るまで知らなかったが、放送視聴後、いろいろと考えさせられた。
放送自体は、尼子義久が毛利元就に滅ぼされる原因を探る内容。他人の失敗や愚行を批判するのは簡単だが、私が戦国武将として16世紀の日本に生を受けていたなら、瞬く間に敵に滅ぼされてしまっていただろうから、敗者を見下す気にはなれない。
私の父方・母方の先祖たち一人ひとりに、悲喜こもごもの固有のドラマがあり、その延長線上に、私はこの世に生を受けた。私という存在は、そういう歴史の産物なのだ、と改めて思った。また、私は残念ながら、厳しい(戦国時代のような)サバイバル状況の中で、生き抜いていけるほどの賢明さも強さも持ち合わせていない、ということを認めざるを得ない。
そんな私が比較的に平穏な世の中で、カトリック司祭として働かせていただいていることのありがたさを痛感。この私も置かれた状況によっては、悲惨な人生を送っていたかもしれないし、今後の生き方によっては、墓穴を掘るかもしれないので油断大敵!
私は好き好んで、この世に生まれ出たわけではない。しかも、生まれ出るに際して、時代や場所や両親を選べなかった。しかし、幸いなことに大きな後悔はない。私は、生きているというよりも、今、生かされている。信仰の恵みをいただいて、つくづく“よかった”と思う。
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