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更新履歴

2026年9月23日
井手公平主任司祭コラム「おもい」

2026年9月20日
本渡・大江・崎津各教会予定他
本渡教会の動き

2026年9月16日
管理人の呟き



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イザヤ書40章31節は、こう続きます。
「走っても弱ることなく、歩いても疲れない」。

ほんとうに、主に望みをおく人は新たな力を得ることが
できるのでしょうか。
鷲のように翼を張って上ることができるのでしょうか。
走っても弱ることなく、歩いても疲れないのでしょうか。

よく言えば「信仰」。悪く言えば「開き直り」です。
そう言う私に、あるプロテスタントの牧師さんが仰いました。
「開き直りの信仰も素晴らしいですよ」と。

歳のせいかなぁ、という呟きは、改めて生きましょう。

 

 

■カトリック本渡教会
〒863-0015 熊本県天草市
大浜町3-28
電話 0969-22-2758。 

ベスト電器天草本渡店さんの駐車場真向かい 
ドラッグストア・モリさんの真裏が教会です。

 



◆主日ミサ

毎週日曜日 午前10時から

ミサには、聖書も聖歌も持参する必要はありません。

聖書は朗読者の声に耳を傾けて下さい。
聖歌はベンチの棚に置いてあります。

ちなみに、新しいミサ曲は「A」バージョンを歌っています。

はじめての方もご自由にミサに与って下さい。現在、日本国籍以外の方々も主日ミサには与っておられます。

近くの信徒に「はじめてです」とお伝え下されば、ご案内いたします。

毎週、聖体拝領のときにベトナムの女性信徒さんたちがベトナム語の聖歌を歌ってくださいます。

献金の強要などはありません。ご安心下さい。
分からないことがありましたら「はじめての方へ」のページをご覧下さい。

 

◆平日ミサ

変更になる場合があります。事前にご確認下さい

 

 

■今後のミサ予定

○9月21日月曜日 朝7時から
○9月22日火曜日 朝7時から
○9月23日水曜日 夕方5時から 鮫島さん宅
○9月24日木曜日 朝7時から
○9月25日金曜日 朝7時から
○9月27日日曜日 年間第26主日 朝10時から
○9月28日月曜日 朝7時から
○9月29日火曜日 朝7時から
○10月01日木曜日 朝7時から
○10月02日金曜日 朝7時から
○10月04日日曜日 年間第27主日 朝10時から
 

■井手神父さま動向(島外)

◆本渡教会委員会

○10月04日日曜日 ミサの後

◆全ての命を守る月間(9月1日~10月4日)

この間、「福岡教区百周年のための祈り」を「すべての命を守るキリスト者の祈り」に変更致します。

◆信仰宣言の変更(9月1日~10月4日)

「使徒信条」から「ニケア・コンスタンチノープル信条」に変更致します。


ニケア・コンスタンチノープル信条

わたしは信じます。唯一の神、
全能の父、天と地、
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。

主は神のひとり子、
すべてに先立って父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
すべては主によって造られました。

主は、わたしたち人類のため、
わたしたちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、
人となられました。

ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られ、
聖書にあるとおり三日目に復活し、
天に昇り、父の右の座に着いておられます。

主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。

わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。

わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。

アーメン。

 

 

~「築く」よりも「気づく」~

 若松英輔氏の随筆集『悲しみの秘義』(文春文庫)に収録されている「書けない履歴書」というエッセイの中で、彼は自分のサラリーマン時代を回顧している。優秀なビジネスマンたちと、仕事をともにすることもあったようだが、 彼らに対する指摘が興味深い。   

 これまで会った優秀だと言われる人々の多くは確かに、すでに表現されていることをめぐる考察にはたけているが、語り得ないことにはほとんど無関心だった。どんな仕事であってもその底を支えているのは容易に語り得ない何かなのである。・・・・・(中略)・・・・・語り得ない人生の出来事の存在に気が付くことの方が、自分が何者であるかをうまく表現するよりも、人生においては、よほど大切なのではないだろうか。  

 若松氏の鋭い洞察力を示唆する文章だと思う。彼の指摘は、私たちの現状にも通底する。

 カトリック教会の一神父の立場から言ませてもらえば、私たちは 、目に見えない・感覚で捉えられない神によって、その根底から支えられている。その一方で、多くの人は、神に気づかないし、興味・関心もないような様子である。  

 カトリック福岡教区には、「美野島司牧センター」という特殊施設がある。 そこに居住しているのは、常駐職員とダルク(薬物依存症者の自助グループ) のメンバー数名。同センターを訪れるのは、職員やボランティアの他に、生活困窮者や外国籍の人々など。職員やボランティアは別として、いずれも、目先の利益追求にしか関心のない人々にとっては、視野に入りにくい・無視されやすい人々である。  

 世の人々は、個人的な目標達成のために、何かを築き上げることに奮闘している。それはそれで大切なことなのかもしれない。しかし、個人的な利益に目を奪われやすい“視野狭窄”状態の私たちにとって、より大切なのは、まだ認識できていないことに“気づく”こと、そして、その認識に基づいて、しかるべき方向転換をすることではないだろうか?


  

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