カトリック本渡教会のホームページをご訪問くださり、ありがとうございます。

〇 パソコンでご覧になっておられる皆さまは、トップページ画像と教会ロゴ下の、横一列に並んだ項目、たとえば「はじめての方へ」や「十字架のみちゆき」などなど、読みたいページをクリックしてお進みください。

〇 スマートホンでご覧の皆さまは、トップページ画像下の「menu」をタップしてください。ツリー状に、各ページ名が表示されますので、それぞれをタップしてお進みください。

〇 本渡教会のミサ時間や、その他の案内。井手公平主任司祭のコラムなどは、このページを下にスクロールしてお読みください。


 【ご支援のお願い】

2026年7月28日火曜日に熊本地震が発災しました。天草三教会(本渡・大江・崎津)は目立った被害はありませんでした。また、信徒さんたちも無事でした。ただ、上天草市の信徒さんたちは断水の苦しみと闘っています(完全断水の地域に比べれば多少は解消しています)。

熊本地区の教会では八代教会が特に酷く被災しました。

各教会で募金などを始めています。また、福岡教区では、アベイヤ司教さまが先頭に立って被災者のためにご尽力下さっています。内容につきましては、熊本地震特設サイトをご覧下さい。

このサイトをご訪問下さった皆さま、何卒お祈りください。被災なさった方々が、一日も早く立ち上がれますように。希望と勇気が与えられますように。現実的なすべが与えられますように。

具体的な支援方法につきましては、各教会の主任司祭にお尋ねください。

宜しくお願い致します。




更新履歴

2026年8月23日
本渡・大江・崎津各教会予定他
井手公平主任司祭コラム
本渡教会の動き

2026年8月09日
管理人の呟き

2026年8月02日
本渡・大江・崎津各教会今月の聖書



トップページ写真

海の向こうに見えるのは、先日撮影した
雲仙普賢岳です。

大火砕流災害から6月で35年が経過しました。
犠牲になられた方々を悼むとともに
海も山も空も、全ては神さまのもの。
私たち人間は、
ただ生かされている。
謙虚に生きよ、
そう呼びかけられている
そんな気持ちになります。

 

 

■カトリック本渡教会
〒863-0015 熊本県天草市
大浜町3-28
電話 0969-22-2758。 

ベスト電器天草本渡店さんの駐車場真向かい 
ドラッグストア・モリさんの真裏が教会です。

 



◆主日ミサ

毎週日曜日 午前10時から

ミサには、聖書も聖歌も持参する必要はありません。

聖書は朗読者の声に耳を傾けて下さい。
聖歌はベンチの棚に置いてあります。

ちなみに、新しいミサ曲は「A」バージョンを歌っています。

はじめての方もご自由にミサに与って下さい。現在、日本国籍以外の方々も主日ミサには与っておられます。

近くの信徒に「はじめてです」とお伝え下されば、ご案内いたします。

毎週、聖体拝領のときにベトナムの女性信徒さんたちがベトナム語の聖歌を歌ってくださいます。

献金の強要などはありません。ご安心下さい。
分からないことがありましたら「はじめての方へ」のページをご覧下さい。

 

◆平日ミサ

変更になる場合があります。事前にお問い合わせ下さい

 

 

■今後のミサ予定

○8月24日月曜日 朝7時から
 聖書を読む会 午後4時から
○8月25日火曜日 朝7時から
○8月28日金曜日 朝7時から
○8月30日日曜日 年間第22主日 朝10時から
○9月01日火曜日 朝7時から
○9月02日水曜日 朝7時から
○9月03日木曜日 朝7時から
○9月04日金曜日 朝7時から
○9月06日日曜日 年間第23主日 朝10時から
 

■井手神父さま動向(島外)

○8月25日火曜日 午後から27日木曜日午後迄 北九州


◆本渡教会委員会

○9月06日日曜日 ミサの後


 

 

今、生かされていることの不思議

 8/22土曜日の朝食時、各放送局のTV番組が面白くないので、インターネットで、BS11の『偉人・敗北からの教訓』見逃し配信を視聴。レポートされていたのは、戦国時代前期、中国地方で一大勢力を誇った“尼子義久”。祖父の代から台頭して勢力を拡大するも、義久の代になり、毛利元就によって尼子氏は滅ぼされる。

 日本の歴史も掘り起こせば、いろんな人がいて、いろんなドラマがあるもんだなと思った。尼子義久なんて、この放送を見るまで知らなかったが、放送視聴後、いろいろと考えさせられた。
 
 放送自体は、尼子義久が毛利元就に滅ぼされる原因を探る内容。他人の失敗や愚行を批判するのは簡単だが、私が戦国武将として16世紀の日本に生を受けていたなら、瞬く間に敵に滅ぼされてしまっていただろうから、敗者を見下す気にはなれない。

 私の父方・母方の先祖たち一人ひとりに、悲喜こもごもの固有のドラマがあり、その延長線上に、私はこの世に生を受けた。私という存在は、そういう歴史の産物なのだ、と改めて思った。また、私は残念ながら、厳しい(戦国時代のような)サバイバル状況の中で、生き抜いていけるほどの賢明さも強さも持ち合わせていない、ということを認めざるを得ない。

 そんな私が比較的に平穏な世の中で、カトリック司祭として働かせていただいていることのありがたさを痛感。この私も置かれた状況によっては、悲惨な人生を送っていたかもしれないし、今後の生き方によっては、墓穴を掘るかもしれないので油断大敵!

 私は好き好んで、この世に生まれ出たわけではない。しかも、生まれ出るに際して、時代や場所や両親を選べなかった。しかし、幸いなことに大きな後悔はない。私は、生きているというよりも、今、生かされている。信仰の恵みをいただいて、つくづく“よかった”と思う。


  

※ ホームページの更新画面が表示されないことがあります。そのときは、「履歴」を削除してから再度読み込んで下さい。

トップページへ


教会へのアクセス